アタシはゼッタイゼッタイ自殺するんだから!

何故かnoteが私に「フルタイムで働けない病気だけどなんとか頑張ってマス!」系の他人の日記をオススメしてくる。

私はよほど面白い人でない限り他人の日記など全く興味がないのでほとんど読まないのだが、そういう「仕事でつまずいちゃった系」の人は、なぜか「パートでもいいから‥」「派遣でもいいから‥働きたい」みたいな結論に落ち着く。
かくいう私が3ヶ月前までそうだったのだが、あのときの私の思考回路が自分でもよくわからない。
たぶん市川蒼さんのことが好きすぎて、現場に行きたいしプレゼントをあげたいから給料が欲しかったのだと思うが、それなら障害年金でなんとかなるし、なぜ働こうと思ったのか全然わからない。

私がなぜ働くことに向いてないかといえば、本当にわかりきったことで、「他人が大嫌いで大嫌いで出会った人間全員を見下している」からである。
私が尊敬するのはソクラテスとかウィトゲンシュタインとかそのたぐいのすでに故人の学者やドストエフスキーや三島由紀夫みたいな大作家、そういう自分では理解の範疇を超えた領域に達したと認定できる人で、ぶっちゃけてしまうと、それ以外の会社で出会う同僚、上司、取引先、はたまたプライベートの友人まで、私は尊敬をしたことがないし、すべてにおいて私が優れていると思っている。

本当にこれはなぜだかわからない。
たしかに私は子供の頃から勉強が得意だったし、小学四年生の頃にニーチェを読んだことがあったが、何を書いているのか日本語なのにひとつもわからなかった。塾には天才がいくらでもいて、平気で灘やらに合格していた。私は必死こいて中堅より少し上の学校にまぐれで受かったがいじめられて2年で中退した。高校も中退したし新卒で入った役所も有給をきっちり3年間使い果たして無職になった。
バカでも受かる短大に去年入ったが4ヶ月で中退した。
いくらほんの少し勉強ができたといっても、普通の人より学校に通った年数があまりにも少なく、今は簡単な計算すらスマホを使う。

なのに私は他人のことを馬鹿にしている。自分も好きな男ができたら馬鹿みたいに泣いたり、セックスしただけで浮かれて、フラレてキレ散らかすくせに、同じことをしている女を見たら「あんな卑しい人間にはなりたくない、あー気持ち悪い、子宮でモノを考えるってああいうことネ」などとバカにする。ブーメランにもほどがあるのだが、何故か私は自分には当てはまらないと思っている。

幼少の砌から他人が嫌いだった。保育園で「髪の毛切ったの?前のほうが良かった」と言ったユリちゃんに激怒して先生に言いつけ、しこたま叱られているユリちゃんを見て内心大笑いして喜んでいた。小学校のときの担任の名前は全員覚えて未だに呪っているし、中学の時に色々世話を焼いてくれた先生のことさえも、今は大嫌いだ。当時の友達も残らず、今不幸になっていないかなぁ、流産とか、離婚とか、シングルマザー(ファザー)とか、とぼんやり考えている。

人は他人と触れ合わず引きこもっていると、過度に尊大になり、自己愛が強くなるとどこかで読んだ。
でも私は完璧に引きこもる前、つまり物心つく頃から、両親、兄弟はもちろん、祖父母のことも、近所の人も、嫌いだったし、自分より「卑しくて、格下」だと思っていた。

それは、私が、早くから読書をしていたからか?
漫画の『惡の華』みたいに、中学校にボードレールを持っていって、「おまえらとはちがう、僕は悪の華を読んでいるんだ、おまえらみたいなやつらとはちがうんだ!」と泣くいじめられっ子の主人公みたいだし、当たらずとも遠からずなのだが、やはり私は、「自殺」が関係しているのではないかと思う。

前々からずっと書いていたが私は記憶の原初である3歳ごろから、ずっと消えたい、この世で生きていけない、と思い、小学六年生のとき図書館で南条あやの『卒業式まで死ねません』を発見した瞬間から、はっきりと「自殺」を意識し、自殺という概念、思考は、大人になった今まで一秒たりとも消えたことがない。

私は、「自殺を考えているから、偉い」んだ。

家族も、祖父母も、保母たちも、教師も、クラスメートも、学友も、誰も自殺していない。自殺したのは、インターネットで知り合った、少し会話しただけの男だけだ。
私の周りに自殺したいと思っている人は、観測できない。
私は、自殺こそがすべての解決方法であり、「最も優秀で、人間という種族として最善の」終わり方であると信じ続けていたので、自殺すらできない、自分の周りを馬鹿にし続けてきたのだと思う。

OLをしていて、仕事でミスが発覚して、慌てふためく大人たち、私は「死ねば終わる話なのに・・・」という考えなので、当然仕事を覚えられるはずもなく、他人を馬鹿にしている雰囲気はなんとなしに周囲にも伝わり、忌避され、時にはいじめられ、そのたびに引きこもってゲームをしたり本を読んだりして、だんだん、他人と会話するのも、「馬鹿を相手にしている」という考えが強くなり、話しかけてきた友人たちに「死ね」「早く死ねよ」と脈絡もなく送って、そうして今に至る。

私は今の生活が本当に楽だ。
人と一言も会話せず、ゲームのキャラクターは予想通りの会話をし、武器のレベルは自分の行動どおりに上がり、そこには「馬鹿」がいない。

ただ問題なのは「自殺を考えている自分」が一番エライというなら、私はいつ自殺をするのだろう?ということだ。
それがよくわからない。何度か飛び降りたりODをしたりしたが、今はピンピン生きているし、安楽死できるならするが、ホヨバースの新作ゲームが面白そうだなあ、などと考えているし。
これまでの人生で散々他人を馬鹿にしてきたのだから、自殺はしなくちゃ筋が通らない。アタシはゼッタイゼッタイ自殺するんだから!

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