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日本脱出 | 2021年12月

このエッセイは、2022年1月に書いたものです。
2021年12月下旬の「日本脱出」の顛末です。
1年以上たったので、カビが生え始めた感が否めませんが、
なかなかできない経験だったので、書き直してみました。
よろしかったら、読んでくださったら、嬉しいです(^^♪


この3年間、海外に出かけていない。コロナ禍となり、行動制限が求められるようになればなるほど、日本を出たくて出たくて仕方がなかった。そんなとき、エジプトに出張中の夫が、「この年末年始は忙しくて帰国できない」と言ってきたので、思わず叫んでしまった。
「だったら私が行きましょう!」 

そう威勢よく言ったものの、12月に入ると、オミクロン株が世界各地で猛威を振るい始めた。父が電話してきて、「こんな時期にわざわざ日本を出なくてもいいじゃないか」と心配され、気持ちは揺らいだ。

確かにそうなのだが、航空券はすでに予約済み。大きなスーツケース2個と機内持ち込みの鞄には、日本食や衣類などを詰め始めた。今さら中止にするなんて、やはり考えられない。心配や不安よりも楽しみの方がずっと大きいのだ。

しかし、私がどんなに行きたくても、行くことが許されない可能性がまだ残っていた。PCR検査だ。英文の陰性証明書を提示しないと飛行機に乗せてもらえなければ、エジプトに入国もできない。

出国日の前日、夫がいつも利用しているクリニックを訪れた。唾液によるPCR検査は受けたことがあるが、エジプト政府は「RT-PCR検査のみ」と限定している。綿棒を鼻の奥深くまで差し込まれ、グリグリされる。

60代の優しそうな看護師さんだったので、すごく痛いのかと聞いてみた。「鼻咽頭の奥まで入れて喉の粘液を採取するからね、意地悪じゃないから我慢してね」。意地悪なんてそんな……、と返事しようとしたとき、グリグリが始まり、数秒で終わった。看護師さんに「どうだった?」と聞かれたので、思ったほど痛くなかったと答えた。

検査結果が出るまで、駅ビルで土産を買うことにした。悩んだ末、お酒好きな日本人社員には、牛肉のしぐれ煮を。妻子同伴で長期駐在している社員には羊羹を。エジプト人スタッフには洗える抗菌マスクにした。あと、自分用に文庫本2冊と保湿クリームを買った。

駅ビルを出てきたら、外貨両替ショップが営業しているのに気がついた。確か去年からずっと休業していたはず。明日、空港で両替するつもりだったが、ここにしよう。

50代の女性スタッフは、慣れた手つきで、米ドルを各紙幣ごとに数えながら、私の前に置いた。そして、「どちらへ行かれるんですか?」と聞いてきた。私も聞いてみた、客は少ないんじゃないかと。「それが12月に入ってから増えてて、圧倒的に外国の方ですね。クリスマス前に日本を出て、数カ月帰らないという方が多いですね」。私と同じことを考える人が少なくないことに驚いた。

夕方、クリニックに戻ると、待望の陰性証明書を手渡された。私は心の中で叫んだ。
「待ってろ、エジプト!」

出国日は、朝から快晴で助かった。布団や毛布を干し、シーツを洗濯した。私が次に帰国するのは、4ヵ月後の晩春のころ。羽毛布団はもう押し入れにしまおう。昨日まで身につけていたマフラーやセーターも洗った。その後、大掃除の続きを始めたが、あっという間にタイムリミットの午後3時を迎えた。全部できなかったが仕方ない。シャワーを浴びて身支度をした。

そろそろ家を出る時間なので、駅員さんよろしく指さし確認をする。「テレビ、ビデオ、パソコンのコンセントよし」。電化製品のコンセントは、冷蔵庫と電話機以外すべて抜いた。「ガスの元栓よし」。4ヵ月も留守にするので、水道の元栓も閉めることにした。

成田空港までは、わが家の最寄り駅から90分。通勤時間帯だったのでずっと混雑していたが、京成成田駅でほとんどの乗客が降りた。空港へ行くのは、私の車両では私だけ。前方車両は2人で、後方車両は1人だった。

成田空港第2ターミナルに着くと、旅行客も空港スタッフも本当に少なかった。これではほとんどの店が休業するわけだ。夕方まで営業していた店は数店あったようだが、午後7時を過ぎた今、ハンバーガーチェーン店とコンビニしか開いていない。搭乗手続き、保安検査、出国審査を終えると、また驚いた。免税店がすべて閉まっている。数店は午後6時まで営業していたようだ。搭乗口へ行くと、乗客が一つおきに座っている。外国人が多い。

いよいよ飛行機に乗り込む。ざっと見て搭乗率は70%か。私の隣は空席で、1つ空けてブラジル人の40代の女性が座った。2年ぶりに家族に会えると話していた。

QR807便は定刻どおり出発し、滑走路を飛び立った。周りの乗客にわからないように、ガッツポーズをした。日本脱出だ!

その後、カタールのドーハ・ハマド空港で乗り換え、エジプトのカイロ空港に着いたのは、日本を脱出して20時間後のことだった。

(2022年1月に書きました)

最後まで読んでくださり、ありがとうございました m(__)m あなたの大切な時間を私の記事を読むために使ってくださったこと、本当に嬉しく有難く思っています。 また読んでいただけるように書き続けたいと思います。