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Daquilo Que Eu Chamo de Amor

ボクの母親は若い頃ブラジルに住んでいたこともあり、物心ついた頃から周りにはブラジル人の大人たちがいた。
当然その人たちの子どももブラジル人なので、自然に仲良くなって、いつの間にかポルトガル語が話せるようになっていた。
ボクは5歳までアメリカに住んでいたこともあり、英語が話せたし、人種や言葉って色々あるということを全く不思議に感じなかった。

やがてボクも成長し、中学生になった。
ボクはどうやら普通ではないらしい。
ASDという障がいを持っていることがわかった。
小学生くらいまでは、人種の違いと同じように人はそれぞれ違って当然と、母が言うことをもっともだと思っていたが、思春期になり、周りのクラスメイトたちと大幅にものの見え方や考え方が違っていることに気づいた。

中学を卒業する頃、父の仕事の都合でベルギーへ引っ越すことになった。
ボクにとってはありがたい引っ越しだった。
きっと日本の高校へ進学しても、理解されるどころか浮に浮きまくり、彼女は勿論のこと友達なんか全くできずに空中浮遊していただろう。
全日本ぼっち選手権があればぶっちぎり優勝する自信がある。
ベルギーの学校では浮くことなく、ボク以上にぶっ飛んだ子もいて、皆自分の特性を活かした仕事に就きたいと夢を語っていた。
実際、今その同級生たちはそれぞれの特性を活かした仕事に就いている。

ボクも子どもの頃から志していた道に進む為、英国の大学へ進学するも「思っていたのと何か違う」という理由で急に辞めて日本に帰国し、志が消えてしまったボクは通訳ボランティアや短期のバイトをしたりあちこちふらふら彷徨った後、突然ホストになった。
周りは呆れただろう。
ボクは障がい者だけど、顔面偏差値には恵まれたせいか、女の子たちが寄ってきてくれた。だけどボクのおかしな内面が災いし、女の子達はすぐに去ってしまう。
ボクの何がダメのか、普通に恋愛をするってどういうことなのかが知りたくて、女の子の気持ちが知りたくてホストになってみた。

仕事へ向かう途中、めちゃくちゃ好みのタイプの女の子を発見、何か困っている様子だった。
友達と待ち合わせている店がわからず迷ったらしい。
ボクはその子に話しかけ、探している店まで送ってあげた。
その時LINE交換をした。
LINE交換まではいつもスムーズなんだ。
そう、いつものことだ。
いざ二人きりでデートとなると、ものの数分でボクの異様さに気づき、ごめんなさいされてしまう。
だから好みのタイプの女の子とはいえ期待なんか全くしていなかった。

そんなある日、ブラジル人の仲間とホストの仲間が合同イベントをすることになった。ボクがブラジル人のイケメンたちと幼馴染だというと、ホスト仲間が何か面白いイベントができないかという話になった。
イベントの場を借りて、踊ったり飲んだり食べたりできるブラジル×日本親睦会のような事をやることになった。
迷っていた店まで案内してLINE交換した女の子も招待した。

イベント当日、ボクもブラジル人仲間の音楽バンドで歌うことになった。
歌い慣れてる曲だったから、特に抵抗もせず歌ったことが、ボクの運命を大きく変えた。

LINE交換した女の子が、ボクのところへ来て

「歌、上手なのね。日本語で何ていう歌なの?素敵な歌。」

と、訊ねた。

ボクは嬉しかった。

「ありがとう。日本語で、か・・・考えたこともなかったな、日本語ではね、えーと。。。『ボクが「愛」と呼ぶもの』かな。」

「私、ポルトガル語全然わからないし、ここにいる人たちのことも全然わからないけど、愛が沢山あることはわかるわ。歌詞、全部教えてくれる?」

「いいけど・・・その・・・ キミに歌詞を伝えるのは照れるんだ。何ていうか、ボクが思ってることをそのまま伝えるみたいで。」

「思ってること?ってどんなこと?益々知りたい!」

「待って、ボクのことキモいとか思わない?」

「どうして?思わないよ(笑)思ってたらあの日迷ってたお店に案内してもらわなかったし、今日だって誘われてもここに来なかったわ。」

ボクと話して数分でドン引きして逃げるタイプの女の子じゃないんだ、というより会話が続いていることに驚いた。

歌詞をボクなりの日本語に訳して伝えてみた。

今、その女の子はボクの妻になっている。


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