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音と言葉

(クリックすると同内容を私の声で収録したものを聴けます)

ラジオはときどきしか聴かないのだけれど、最近耳が心地いいと感じる。私は言葉のプロでもないし、声のプロでもない。ただ、自分の身体を通した音で届けることで、何かが生まれる気がして、こうして、記事を音声で収録したものも載せている。

私は歌を聴いていても、実のところ歌詞が全然頭に入ってこない。音楽家として、自分の耳が悪いのかと、ちょっとしたコンプレックスだった。けれど、それはもしかしたら、言葉が自分の中で「音」として認識されすぎていて、感知できないでいるのかもしれない。

私は文章を、目で読むのが好き。歌も、歌詞を目で読みながら感じるのが好き。目から入ってくる情報が、いつの間にか五感を刺激して、その言葉から生まれてくる感覚が全身に行き渡るのを感じながら、自由に咀嚼する。

文章でも、写真でも、絵でも、そのプロセスは同じだ。ワインを口に含み、じっくりとその香りを舌の上で転がしてから、喉を伝わっていく感触と、味そのものを味覚と心で感じるように、目に飛び込んできたものをじっくりと堪能できる時間は、私にとってとても贅沢なもの。

もともと絵を描いたり、手を使って何かを作ったり(紙細工でも粘土でも)、詩を書いたり、そういう作業を夢中でやっている子供だった。

音楽も楽譜からいつも想像する。楽譜を見て、それを実際に音にする訳だけれど、その間で、フッと自分の感覚をとぎ澄ます瞬間が、必ずある。私はいつもそうやって、自分がどういう音を出したいのか決めていく。

私にとって「音楽」と「言葉」は、感覚的にとても近いところにあるようだ。自分でもそれを知っていたようで、でも、知らなかった気がする。そう思うと、「言葉」に込められる質感も、音楽と同じで無数にあるのだ。「音」の扱いを少しは知っている身として、日常の中でも「言葉」という「音」を、もっと大切にしてみよう。

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