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『愛は光にみちて』短編1/7 #秘密の塀

冬の一日、私は東京の郊外にある某大学を訪れる。そこは子供のころの私の遊び場であり、行き場のないときの逃げ場であった。これはその折に出会ったシスターの話しと、その後に起った不思議な体験をもとにしている。


 東京の西郊M市にあるカトリック系の大学。木深い森にかこまれた広大な校地。北にゴルフ場、西に緑地公園、南に五万坪の自動車工場をひかえ、東を最寄駅とをむすぶ都道〝天文台通り〟に面している。この通りから三角州の河口を遡行するようにY字のアプローチが構内へと延び、バス停が置かれたそのY字路に大学の正門がある。

  #秘密の塀

 正門は城壁のような石造り、高さ二メートルほどの塀が鶴翼の構えで建っている。左右の門柱には行灯あんどんのような四面体の門灯がつき、ツタがからまる右手の塀には校名を浮き彫りにした青銅のプレートがはめこまれている。
 私はいまでもよく憶えている。この塀は中に入ることができた。塀の一部が空洞になっていて、そこに入ることができた。塀の中へは裏側にある戸袋のような空洞部分の断面から入っていく。中は狭く薄暗く、床にはレンガの欠片がころがっていた。私は腰をかがめ、背をまるくし、くびまですぼめて中を進んだ。もっとも天井までの高さは、そのとき小学生だった私の背丈をゆうにこえてあまりあった。
 いま思えば、それはスライド式の門扉ゲートを納めるためのスペースだったのだろうが、そのときそこにゲートはなかった。なぜ正門にゲートがなかったのか? その理由はいまもわからないが、私にとってこの塀が〝秘密の塀〟であることにかわりはない。
 私はこの近くで生れ、十二の歳までそこで育った。六年間かよった小学校もすぐそばにある。この大学はそのころの私の〝遊び場〟であり、ここを訪うのも実に三十年ぶりのことになる。

 正門を入ると受付がある。大学を訪れる外来者はここで氏名・行先・用件などを罫紙に記入し構内に入る。一応の手続を履むわけであるが、私はそれをせずに行こうと思う。然有らぬ体でそこを通りすぎようと思う。もし誰何すいかされたらこう応えよう、私はここの卒業生であり、今日はK教授を訪ねてきたと。無論、私はここの卒業生ではない。
 受付をすぎるとき横目で見た守衛の態度に別段、私をいぶかるようすはなかった。初老とみえる彼に、中年といわれる私はどう映ったのか。土曜日の午後、ノーネクタイに手ぶらではあるが、仕事用のスーツとコート。すくなくとも不審者には見えなかったようだ。校風が大らかなせいもあるだろう。
 〈犬を連れて入らないでください〉
 受付の脇に立つ草丈ほどの禁札に、後脚をあげる尨犬むくいぬが見えるようだった。

 正門をすぎると、Y字のアプローチは広やかな直線の桜並木にかわる。春ともなれば二車線の車道にアーチを架ける桜の巨木は、入学を祝うライスシャワーのように薄紅色の花びらをふりそそぐ。しかし秋が終わったいま、葉をおとした桜の古木は枝のつぼみを堅く閉ざし、おとずれる冬の寒さに身構えている。私はコートのえりを立て、木枯らしに追われるように足を速めた。
 桜並木の終点は円形の花壇をかこむロータリーになっている。その正面には切妻の大きな教会堂があり、妻壁にはラテンクロスの十字架が掲げられている。西暦を背負い、ひとり高みに立つその象徴は日月の塵埃をはらい、この広壮な建物に普遍不壊の存在感を与えている。
 ここから先は車両進入禁止、放射状に延びる舗石の小径が構内に点在する校舎につづいている。私はイチョウが落とす扇形の黄葉をカサカサと踏みしめながら、本館のあるキャンパスにむかった。

〈つづく〉




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