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誰もが素晴らしいというあの人のこと

誰もがあの人は素晴らしいと絶賛する人がいる。
…だけど、私はその人の違う面を知ってしまった。その面のせいで、とてもつらい立場になるなんて思いもしなかった。しかし、その「人徳」ゆえ、私が何を言っても、私が悪者になるだけなのを悟ってしまった。私の逃げ場はどこにもない。

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人柄がいい。
いつも笑っている。
親切で、基本的にお願いしても断らない。
稀に怒るときは、だれかのため。義憤。
その人を悪く言う人はいない。
とてもいいひとだ。あんな素晴らしい人はそうそういないってみんな絶賛する。

私は人当たりが苦手だ。
正直、あの人と仕事したくないって書かれたことある。
自分でも、どういうコミュニケーションをすればいいか、わからない。
だから、そんな匿名のフィードバックを見ても、ため息しか出ない。ああ、私はなんてダメなんだろう。と思うだけ。
だけど、気が強くて、性格も悪くて、あの人はちょっと変わっているから。
個性的だけど。目の付け所はいいけどね。そんな風に言われているのを知っている。

その人は素晴らしい仕事をしてきた。
私の同僚になったとき、本当にいい人が来てくれてよかったと思った。
その人はきれいな顔の中で光るとても美しい目をして、まっすぐに私たちを見て、課題と思っていること、やりたいことを熱っぽく語った。

私はその人と同僚になったことを心から誇りに思った。

その人は、とても頭がよく、かつて私のところに来る前に、本当にこの世界を変えるようなプロジェクトを仕切っていた。私にはできない。すごい勢いで、どんどんやっていった。でも、本来その人がやらなくてはいけないことは、当然私たちのところにもあるわけだけど、「そのプロジェクトから自分が抜けたら回らないの、ごめんね」といって、私たちのプロジェクトは置き去りになってしまった。

「○○さんは慣れていないから、あなたが助けてあげて頂戴」

見かねたのか、上司がそういった。私はもちろん快諾した。ただ、あくまでサポートだ。社内のさばきなどはするけれど、中核になる部分はその人が熱っぽくやりたいって言ったことだから、そこは私は触れないし、そこをまっているよ、と言ったら、ありがとう、とにっこり美しく微笑んでくれた。忙しいはずなのに、ZOOMの画面越しでもわかる曇らぬ笑顔。きれいな目だった。その人をサポートするのもうれしくなるほどの。

あれから数か月がたった。

いまだに本来やらなくてはいけないことが進んでいない。

私は、本来やらなくてはいけないことについてのミーティングの場で、そのひとに、私がとても尊敬している先輩を紹介した。その場で先輩にもお願いしよう!ということになった。先輩はとても忙しい人だったけど、寝る間も惜しんで私たちのプロジェクトの背景となる情報などを調べてくれて、素晴らしい形にまとめてくれた。

だけど、肝心のその人は、そこについてなんの見解も示さない。
そもそも誰をターゲットオーディエンスにしているか。何の目的で、どういう期間にどういうことをすると、ターゲットがどんなベネフィットを得られるのか。そうしたことについて決めないまま数か月がたってしまっている。あの時熱っぽく語った課題とやりたいことのはずなのに。いまだに目的が語られないままだ。

先輩からはいら立ちを隠せないDMがくる。

その人がすべてやるべきなのにやれてないことが。私が紹介したからには、引くことは許されないのだ。学部では誰もが憧れる鋭敏な頭脳の素晴らしい先輩に、さばけていないことを指摘されると、いたたまれない。

Slackの返事はこない。たぶん見てないんだろう。

こんなことなら、紹介なんてしなければよかった。
自分の業務だけでも大変なのに。
自分よりもずっとずっと、職制も高いはずのあの人のフォローを何でしなくてはならないの。

たんに表にまとめるだけで済むことが、たまにくる返事では長々とした言い訳ばかりで、何もない。

私たちは目的も、ターゲットも示されないまま、できるところからやり始めたけど、そろそろそれも限界だ。そもそも本来そうした基本が不明確なまま進めること自体があり得ない。

そんな人のFacebookはいつも楽しそうだ。
とてもポジティブなことが書いてある。
毎日が充実してそうだ。
いいねがたくさんつく。

きっと誰もが、その人と深く仕事をしなければ気づかないことだろう。
その人が、いかにやらなくてはいけないことをやらない人なのか。
これまでの実績は実は回りが仕方なくやった結果なのではないか?

そんなことを思ってしまった深夜、自分がとても嫌になった。

誰にも言えない。だって、共通の友達はその人がとてもとてもいい人だって思っているから。私は、逆にあまり人に好かれてないから。だけどいいように使われているように思えた。

そんなある日、かなり近い共通の知り合いから、実は似たような目にあった、という話をされた。その人も、ちょっと扱いづらい、と書き難しいと言われてるタイプの人だが、とても誠実で、仕事はきっちりする、言葉選びが苦手なだけな人だ。それ以外での評判は悪くない。癖があると言って敬遠する人はいるけれど。そんな彼が、実はね…とばつが悪そうに言う言葉の一つ一つが、自分がまさにあっている状況だった。あなたがそんな目にあってるんじゃないかって思ってね、と、オンラインで声しか聞こえなかったけど、ちょっと優しい声で言ってくれた。

私はちょっと泣いた。
そんな風に心配してくれている人がいたことに、気づけなかったことを後悔した。ありがとう。と言って、そのあと仕事に戻った。

うれしかったけど、仕事の量は変わらない。
モチベーションより、何で私ばかり、と思ってしまうのは、私が人間出来ていないからだろう。

今日も、これから私は自分の仕事がやっとできる。

今日も、丸一日その人の仕事に時間を使ってしまった。
先輩からLINEが来た。「これは君との仕事じゃなければ、もう受けない案件だね」と書いてあった。

これで成果が出てもその人の成果になるのだろう。

先輩のLINEに返答はまだ返せていない。

いたたまれなくて、なんだかふと涙が止まらなくなって、ここに書いてみた。こんなの書く暇あったら仕事しなよ、と思いながらも、そんな時間すらもとってはいけないの?とも思うような、ぐちゃぐちゃした心でいてもたってもいられなかったのだ。

それで、書いてみて気づいた。DVの旦那から逃げてきた友達の話そっくりだと。誰もが素晴らしいという旦那が、暴力をふるう人だった。彼女はろっ骨を折った。だけど、その人がやったと誰も信じなかったという。

素晴らしい人ってなんだろう。

こうやって、うまく世渡りをしているのは、正直言ってうらやましい。

だけど、人徳がない私は、黙っているしかない。

いつか幸せになれるのだろうか。


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