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【ニュージーランド】1年のワーホリをふりかえって・前編-南島から北島へ-

こんにちは、Mari(@Mari_the_world2020)です。
当ブログに訪問いただきましてありがとうございます。

このブログでは、ワーキングホリデーを利用してオーストラリア、イギリス、ニュージーランド、カナダと滞在している筆者が自身の体験や日常生活をシェアしております。

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今回は私がニュージーランドに滞在していた2019年~2020年についての振り返り記事となっていますので、どうぞ最後までご覧ください。


動画は私のYouTubeチャンネルより

10月 Queenstownにて仕事探しの日々

1年4ヶ月のイギリスワーキングホリデーを終え、3週間ほど日本へ帰国し、いざニュージーランドへ。カナダへ入国するまでの間の6ヶ月間を目安に滞在することにしていました。

オークランドから国内便に乗り換え、クイーンズタウンへ降りたちました。

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滞在していたホステル

最初の1、2週間は銀行口座を開設したり、SIMカードを買ったり、働くために必要なIRDナンバーを取得。と、同時に、ホテルの受付の仕事を中心に探します。

ホステルにいるだけでも色々な出会いがあります。
部屋が一緒の人、共有スペースで話をした人など。

ドイツ人の女性と一緒にQueens hill track(ゴンドラのてっぺんのやつ)を登ってインド料理をご一緒したり

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中国人女性と有名だというチョコレート屋さんでお茶したり

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観光らしい観光には目もくれず、来る日も来る日もパソコンにかじりついて仕事探しをすること約2週間。

オークランドの日系旅行代理店から1件、南島の過疎地にあるホテルから1件ジョブオファーをいただきました。

英語環境かつ都市部以外で仕事をしたいと思い、ホテルの仕事を選びました。

就業開始まで少し時間があったため、ミルフォードサウンドにも行ってみました。

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10月後半、intercity(バス)を使ってクライストチャーチまで北上します。

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1泊したクライストチャーチで、クイーンズタウンで同じ宿に泊まっていた日本人女性に偶然再会!(クイーンズタウンにいた時は話す機会がなかった)

一緒にお茶しに行きました。

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彼女はオークランドで1年ワーホリをしていて、オーストラリアへ行く前に旅行しているところだったそうです。

11月 南島の過疎地にて仕事が始まる

やっとの思いで手にした念願の英語環境の仕事。
レセプショニストとしてフルタイムで働きます。

最初は全体の仕事を覚えるため、ハウスキーピングやレストランでの仕事もします。簡単なOJTを1週間ほどして、レセプションの仕事開始です。

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働いていたホテル。周りに何もありません。

前任の方が退職するので後任として雇われました。
そして引継ぎの時間もさほどないまま朝から夜まで一人で働く生活が始まりました。

わからないことだらけによる不安、頼れる人がそばにいないこと、
日本人はおろかアジア人は私だけという環境、週に60時間以上の労働・・・と、徐々に気持ちは雇用された嬉しさよりも、今いる環境から抜け出すことにシフトしていきました。

幸い同僚がみな優しく、休みが一緒になった際には何もない過疎地での(笑)ハイキングを楽しみました。

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ポーズのしかたに表れる国民性(笑)
左からイタリア、日本、イギリス、アメリカ

また、お酒が弱い筆者ですが、ニュージーランドはワインが有名ということで、ワイナリーツアーに参加してみたり

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1日に5-6件のワイナリーを回りました

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お酒の強くない私にも飲めるRiesling(ドイツの白ワインで「リース(ズ)リング」という)をすすめてくださり、大好きになりました。

甘くてデザート感覚で飲めます。

12月 休暇をもらってNelsonへ

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働き始めてから週60時間の勤務が随分と続きました。
最低時給でもお金は貯まりますが、それでも精神的にこたえ始めた頃。

繁忙期へと差しかかり、お客さんは増えるのに対し、レセプションは私だけ。電話・チェックイン&アウト、メールの返信等をすべて自分で行います。

レセプションだけでなく、レストランも同じ。ウエイターが足りず・バーもパンクしています。過疎地なので募集をかけても人があまり来ません。

「退職」の二文字が頭をかすめる中、誕生日に休みをくれるように前々からお願いしておいたお陰で、4日間休みをもらうことができました。

クイーンズタウンで出会ったイギリス人の友人と一緒にNelson(ネルソン)に行くことに。

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片道45分くらいのwalking trackを終えて。すばらしいviewでした。

あいにく晴れたのは到着した日のみで、その後はずっと雨でした。
最終日に職場の近くまで戻ってきて、キャンプをしました。

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普段の仕事のストレスを全て忘れてのんびりしました。

夜には近くの茂みでgrow warm(土ボタル)が見れて感動しました。

職場に戻ってからは相変わらず、朝8時から夜9時まで仕事の日々。
たまの休みを有効に使い、カヤックに初挑戦。

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たまたま同じツアーに参加していたドイツ人の男の子と。
後日談ですが、1月に北島に移動しながら旅行した際に、少し一緒に旅行しました。年はかなーーり年下ですが、ドイツ人はみんなたくましい。

体力の衰え感じるアラサーの私にかわり、2時間漕ぎ続けて(私もがんばったけどね)くれました。

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翌日、そんなに歩くのが好きじゃない私ですが、5時間のwalkに挑戦しました。

1時間は先に始めたウォークですが、足の長い若い男の子にはかないません。ゴールに辿りつく前に追いつかれてしまいました。

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南島の旅を続けるという若き少年(青年?)とはここでお別れです。

1月 新しいスタート いざ、北島へ

年末年始をはさみ、忙しさはピークに。
12月にマネージャーと話し、退職したい意志は伝えていました。
「新しい人が入り時代」ということだったので、1月まで待って退職することに。

10月に仕事を初めて3ヶ月(住込みだったのに加え働き詰めだったので、倍くらいに感じましたが)

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この頃までにはだいぶ慣れてきたレセプション業務
モザイクのかけ方が雑ですね)

同僚にも退職することを伝えると、「さみしいけどMariのメンタルヘルスのが大事だから・・・」と送り出してくれました。
(残業にうんざりしていたのを知っている)

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みんな今ごろどこで何してるんだろう

退職を決めたはいいものの、その後を決めていません(いつものこと)
とりあえず社畜のように働いたことにより蓄えはできたので、北島のWellingtonに滞在しながらその後の身の振り方を決めることに。

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Wellingtonは美しい街ですが、風が強く体力を奪われました。
4泊ほど宿をとってありましたが、観光は初日でほとんどしてしまいました。

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夏でしたが、陽がおちると海辺は寒いです。


前の職場にいる際に、WWOOF(ウーフ)といって農業体験をしながら無料で宿泊できる制度をつかって1週間ほど仕事をすることになっていたため、Wellingtonを離れます。

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ホステルで同室だった2人とhang out

WWOOFは結論から言うとはずれでした。
彼らは「ただで1ヶ月以上働いてくれる人」を探しているらしく、
私が「1週間とお互い決めてOKだったので来ました。再来週からオークランドで仕事が決まっています」と言ったところ不満だったらしく、予定の7日より早い5日で追い出されることに。(なんてこった!)

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1日4-5時間仕事をします。
雑草を刈ったり、こんな感じに雑然となっている薪木の仕分けをしたり・・・。これ以外にもサイドビジネス(飲食)をしているので、その手伝いに7時間以上働く日も。

タダ働きさせられた挙句のポイ捨てです。

捨てる神あれば拾う神ありなのがワーホリ生活の面白いところ。

時を同じくして、ここからそう遠くないNapier(ネイピア)という町に、以前ホテルで働いていた時に知り合ったカップルに会いに行くことになっていました。

追い出されることになった日、「明日出てかなきゃいけないくなって」と説明すると、「うちにおいで!数日泊まっていていいから」とおっしゃってくれました。

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以前日本で英語の先生を数年していたというお二人。素敵なカップルです。

お陰さまで、惨めな思いをせずに暖かいベッドで眠ることができました。
(ホステルもチェックしましたが、ご厚意に甘えることに)
(ほぼ)見ず知らずの日本人を泊めてくださった寛大さに感謝です。

こうやって振り返ると、私のワーホリ生活ってMBSでやっていたロケみつみたいだな~とつくづく思います。

1週間かけてオークランドへ

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これがニュージーランド北島の地図です。
下の方、見切れているあたりにWellingtonがあり、Aucklandは上の方にあります。

NapierからTaupo(タウポ)とRotorua(ロトルア)を通って、1月おわりにオークランド入りすることにしました。

Taupo

先に紹介したカヤックツアーで一緒だったドイツ人青年がオークランドから南下しているとのことだったので、Taupoで合流することに。

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レンタカーを借りて、ワイラケイテラス(温泉プール?)へ

基本的にThe ドイツ人の青年とマイペースな私は別行動。
このお風呂も彼は一番ぬるい湯に、私はFrom温泉大国日本に恥じぬよう(?)一番熱い39℃でまったりしてました。

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オラケイコラコ

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Taupo中心部

ベタベタしないドイツ人。同じホステルに滞在はしていても、彼は男女混合10人部屋、私は女性4人部屋。

行動もお互いがお互い行きたいところに行って、あとでどっかで合流、というとてもざっくりしたものでした(笑)彼の性格もあるんだと思います。

ホステルで自転車を借りて柄にもなくマウンテンバイキングをした日にゃあ、恐る恐る進む私を尻目に「じゃああとでね~」と一人置いて行かれましたからね(泣)プチカルチャーショックでした、ホント。

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置いてかないで~(泣)

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崖から落ちそうになりながらヒーヒー言って到着したフカフォール


みんながみんな、そうなのかは分かりませんが、ドイツ人はサバサバした人が多いですね。そして彼に限って言えば、ユーモアが独特でドライです。

私(英語)「GAPイヤーでNZをあちこち旅しているわけだけど、就業経験ないのに旅費はどう賄ってるの?」

'I was born into a right family' (正しい家に生まれたからさ)

これには私も吹いてしまいました。いや、ただ単に真実を言っただけか?
開き直っていて潔いっちゃそうなのか?

そんなこんなで2日目の夜。ホステルで翌日からのロトルアの旅を計画していると

彼「今から夕陽を観に行くんだけど、Mariも一緒に来ない?」
私「今ロトルアで行くところの計画しているから、私はいいや。ドイツ人の友達が来てるって言ってたよね。彼女と楽しんできな(完全姉目線)」

彼「ロトルアのオススメなら僕が教えてあげる。一緒においでよ」
私「夕陽は昨日一人で行ったプールの帰りにめちゃめちゃキレイなのが見れたから今日はパスするわ」

そう、前の日に素敵な夕陽が見れたのです。

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TaupoはRotoruaほどやる事が多くなく、車がないと行けないところも多かったです。

ドイツ人青年とお別れをし、Rotoruaへと向かいます。

Rotorua

ロトルアでは確か5、6泊したかと思います。
ここでも1日はレンタカーを借り、他はツアーに参加したりミックスしながら旅行をしました。

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マッドプール

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ワイオタプ(ツアーにて)

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ZIP LINE

ジップラインがどんなんかはこの動画でもちょっと観れます

翌年タウポ・ロトルアに再訪問した時の様子はこちら


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ハムナラスプリングス


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オヒネムツ・マオリ村

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レッドウッズ・ツリー(昼)


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レッドウッズ・ツリーウォーク(夜)

最終日、ホステルで一緒だったドイツ人の若い女の子と1日だけ旅行をしましたが、この子が本当に残念な子でした。一緒に旅をするも約束していたレンタカー費用折半も結局払わなかったし、行きたかったカフェに行くと「ここはドイツと似たような感じだから長いしたくない。さっさと行こう」と。

レンタカー返却時間が迫っていて待ち合わせ時間10分経っても来ず。電話しても「まだいたいから」とごねられる。

仕方なく「もう出ないとレンタカーオフィスが閉まって追加料金払うことになっちゃうから、ここの施設が出しているシャトルを利用してね」と連絡すると

「今すぐ引き返してこい!」「引き返さないと許さない!」と怨念じみたメッセージが・・・(こわい)もちろんこれらは運転中だったので後で見る事になったのですが。(だから時間厳守でって伝えたのに)

厚意で同乗を許したのですが、かなり面倒な子でした。

ドイツ人だからとかじゃなく、この子がかなり変わっていたのだと思います。(あとから振り返ってみるとその兆候はあったっちゃあったかな)

そんなわけで、苦い思いもしましたが今思えば人を見抜くライフレッスンになったなと(汗)厄払いと思うこととします。

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ロトルア ナイトマーケット(木曜日)


人生と同じで、いい事も悪い事も含めて旅です。
ロトルアはタウポに比べてエンターテイメントや楽しめる施設の数が多いので、かなり満喫できました。やはり車があった方が便利なのは同じですが。

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硫黄のにおい漂うロトルアの町

こうしてロトルアにさよならを告げ、フランス人ご家族の元でカナダに行くまでの短期間(2-3ヶ月)オーペアをすべく、intercityに乗り込んだのでした。

後半につづく

前半のまとめ


こうしてみると色々と旅行したり、いい人に恵まれた4ヶ月の南島生活だったなとつくづく思います。

理想の仕事を探し、その環境の中で葛藤しながら喰らいついていった3ヶ月。今でもあの時チャレンジして良かったなと思っています。

でも、何よりも大事にしたいのは今後の履歴書にどう映るがじゃなくて、実際に自分の心が幸せだなって感じれるかどうかなんですよね。

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WiFiも通じないし、買い物も1時間半かけて町まで出ないとできないような場所で住んでいたからこそ感じた贅沢もあったけれども、今の私に必要なのは人とのコネクションだったり、もっと自由に動き回れる場所なんだって気がつけた。

これは後づけになってしまいますが、きっとあと数ヶ月残っていても3月から始まったロックダウンにより解雇になっていた可能性の方が大きいわけで。そんな時、会社は守ってくれません。

自分の心の声に従って、また「誰でもない」真っさらな自分に戻って辿り着いたオークランド。イギリスワーホリでしていたオーペアの仕事をまたニュージーランドでもやるとは思ってもみませんでしたが、自分が過去にやってきた事が未来につながるんだと感じられた瞬間でもありました。

また時間を見つけて後編記事「【ニュージーランド】1年のワーホリをふりかえって・後編-オークランド生活-」を書いていきますので、そちらもお楽しみに!

ここまでご覧いただきありがとうございました。

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2020年11月 カナダより

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