まりかの今日もひつまぶし!距離の巻

学校と家の距離が、順調に縮まっている。

小学校、中学校は、家から一時間かけて通った。車で駅まで送ってもらい、電車に乗り、学校まで結構な距離を歩くという長い道のりだった。

高校は、引っ越したこともあって家から徒歩10分。本気で走れば5分で着く。

そして今や、家が学校だ。こういうとカッコよく聞こえるが、私の大学デビューは時間になったらノートパソコンを立ち上げ画面の前に座るだけのオンライン授業として始まっているからだ。

この過程を通して、私は奇妙な現象に気づく。距離が近ければ近いほど、時間ギリギリになる。

小中を通して遅刻をしたことはほとんどなく、家が学校のすぐ裏にあるくせに遅刻してくるクラスの男子をよくバカにしていた。最寄り駅まで歩いていくようになってからは、2,3本早い電車に乗ってまだ人の少ない朝の教室に行くのが好きだった。

家が学校から近くなり私は嬉しかった。電車にも乗らずにつくからラッシュに巻き込まれる心配もない。だが、喜びとは裏腹に学校に早くいくことが苦手になった。家を飛び出すのは授業が始まる15分前。朝早くから起きているのに遅刻することもあった。

そして今はどうだろうか。まだ授業が始まって一週間だからわからないが、買いたてのパソコンの起動時間が早いことも幸いして、授業3分前に慌てて電源を入れて机の前に座っても間に合ってしまうような環境だ。うっかりテレビを見ていて開始に遅れないようさらに気をつけなければいけない。

学校と家の距離が近くなって変わっていくものはもう一つある。隙間の時間が、減っていくのだ。

学校への行き帰りの道中。授業の合間のの雑談。教室で食べるお昼。

純粋に学ぶことだけを重視するなら、これらはすべて無駄なものになる。「スキマ時間を有効活用しなさい」なんて、受験期に耳が痛くなるほど聞いた。

でも家から出られない今、この隙間の時間が、とんでもなく愛しい。

別に有効活用なんてしなくていい。くだらない話をしたり、色んな感情で何も考えられず歩くだけで精一杯だったり。青春の思い出なんて、ほとんどがこの隙間の時間に詰まっているもんだ。

高校になって家が近くなり、一人で歩いてすぐ家についてしまうのがちょっと寂しくもあった。電車の時間を気にせず先生とぐだぐだおしゃべりできるのも嬉しかったけど、小中の帰り道、徒歩20分の長い道のりを二人でぶっ飛んだ作り話をしたり、時にはクラス皆でバカ騒ぎしながら歩いた日常が、なんだかすごく儚く楽しい思い出なのだ。

今は、無駄話が一切できないことがさみしい。授業が終わって、「眠かった」とかいう些細な感想を共有できる人がいない。「今朝電車でこんな人見たんだ~」とかいう話もできない。それもあって、ここに日々思ったことを書き出すようになったのだろう。大学がはじまった今早くもひまつぶしではなくなっているが、誰かに聞いてもらっているような気分になりたいのかもしれない。それ以前に、通学がなくなったから、話すようなネタも減っているのだが。

テレワークやオンライン授業が急速に導入されている今、この隙間の時間を作り出す方法も考えてほしいと思う。無駄がない生活も悪くはないけど、何倍にも増した疲れを感じている。他愛もない話ができる人を見つけるのにもすごく時間がかかるだろう。この環境で人との距離を縮めるのは難しい。これからは孤独とより平凡な日常との戦いだ。

なんだか深い話になってしまった。でも今は切実に、無駄話をできる環境が欲しい。


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