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うれしいポイントも ツラいポイントも 人それぞれ

利用しているバスの運転席のすぐ後ろに、こんなポスターが。

息子が小一のときのこと

息子が小学1年生のときのことを思い出した。

小学校のマラソン大会(一年生は校舎の周りを一周)で、息子は集団に埋もれて 順位は全一年生中の真ん中くらい。
上位者には賞状が渡されるが、大半は何もご褒美なし。当然、息子も。
でも、みんな頑張った!
息子も頑張った!
で、私は、百円ショップで買った賞状を使って、息子を表彰しました。
「よく頑張って走りぬきました!」

という話を、当時親しくしていた人に 世間話の流れで話したら、
その人、
「その賞状の紙、どこで売ってるの?」

彼女が 賞状用紙を欲しがったわけ

その人の話です。
彼女の隣の家の小学生兄弟に対する、母親の扱いがひどい。他人のうちだと思っても、見かねてしまう。こっそり彼らに賞状あげて、喜んでもらいたいと思って。

私はそのとき、対して深く考えることなく、
何枚か残っていた その賞状用紙を彼女にあげました。

彼女がその兄弟を喜ばせることが出来たらいいな、くらいの気持ちです、

それっきり忘れていたのだけれど、この バスの中の広告を見て、連鎖的に思い出して、その後どうなったかな、と考えました。

彼女は、隣の兄弟に賞状を渡せたのだろうか。
彼女の気持ち、その兄弟の気持ち、その母親の気持ち、
いろいろ考えていって、とっても複雑です。

渡せていたら、彼女はうれしかったかも。
その兄弟もうれしかったかも。
でも、もしかしたら、兄弟はツラかったかも。
兄弟はきっと、お母さんに褒めてもらいたいから。
お母さんがもしその賞状を見つけたら、もっとつらいかも。
それとも、うれしいかな?
いろいろ考えます。

バスの広告に戻って

そして、最初の、バスの広告に戻ります。

中学・高校時代に 学校が大嫌いだった私にとって、学校に関わるものはすべて トゲトゲしく、私を攻撃してくるアイテムでしかありませんでした。

当時の私が この広告を見たら、
“こんな、上辺だけのお祝いの言葉なんか、私には全然響かない”
と、見ず知らずの広告主に向かって すねていたことでしょう。

実際にトゲトゲしく攻撃的だったのは、周囲ではなく私の方だったのですが、それに気づけないまま、私はずっと ひねくれた思いを抱えていました。

何十年もたって、自分のトゲに気づき、トゲトゲの原因や理由もわかり、そんな自分や自分の過去を受け容れるに至った今は、この広告だけでもいろいろな想像ができます。

この広告に思うこと

この広告に気づかない人も多いだろう とか、
気付いても、気づかないふりをしたい人もいるのではないか とか、
この広告にトゲトゲしい気持ちになる人もいるだろう(かつての私のように)とか。

一方では、この広告で 救われる人も 少なからず居るでしょう。
祝福してくれる人が 身近にいなかったり、
様々な理由で、卒業式に出られなかったり、
いろいろなことが重なって 自分を見失いかけているときに この広告を目にしたら、
ちょっとだけでも、あるいは もしかしたら とっても、勇気づけられるかもしれません。

3月は節目の時期。
実際に 学校を卒業するのではなくても、
だれにも知られないまま 新たなステップに踏み出す人は、この広告で 応援される気持ちになるのではないかな。

この広告ひとつとっても、嬉しく感じるか、ツラく感じるかは その人の状況次第。
必ずしもポジティブに反応する必要は ありません。
ただ、今感じていることを 自分の気持ちとして、真っすぐに受け止められたら良いな と、かつて 半端なく ひねくれていた私は、思います。

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