見出し画像

13:母のお引っ越し騒動記

【急展開】

前回の記事です。

母の書類審査が通り、入居できることが決定した。前回では安心のあまり、私が体調をちょこっと崩したところで終わったと思う。

私だけでは無かった。
私の体どころでは無かった。

書類を出し終えてから数日後。コロナ感染者が激減した頃合いを見計らって、日帰りで遠出した。久し振りの友人との再会やお出掛けとあって、携帯をあまり見てなかった。気がつくとLINEが数件、携帯に数件の着信、夫とのグループLINEにも。そして夫にまで着信。全部母からだった。何かあったのかと焦って折り返すも、特に用事があるわけでは無いと。ただLINEは未読、電話も出ないから…と。

うん。そういう時もあるよ、と伝える。ちなみにこの日の予定は、もちろん連絡済みだった。母の様子になんとなく、微かにだが違和感を覚えた。

それから又、1週間もしない頃に審査が通ったとの連絡を受けてみんなで良かったねぇと喜びあった。母も本当に喜んで、早くこっちに来たいと電話でも嬉しそうに話してた。

さらにそれから数日後の夜。母のLINEが明らかにおかしい。何度も何度も時間を置いて同じスタンプが送られてきた。おやすみなさい、と。離れて住む一人暮らしだから、生存確認も兼ねて毎日スタンプ一個でいいから送ってもらうことにしてた。これは長く単身赴任してた父が、毎晩鳴らす回数を決めて電話を掛けてくれてたことをヒントに決めたことだった。

おやすみ、とスタンプが来たので、ゆっくり寝てねおやすみとスタンプを返す。3分後またスタンプが送られてきた。そして5分後、12分後…と間隔は開いていくものの一向に止める気配がない。もう遅いからLINEはいいよ、寝てね、とLINEすると、はーいと返事はいいもののやっぱりしばらくするとスタンプもしくは会話が始まる。

そんなことが夜中にあった翌朝イチでスマホがおかしいこと、パソコンのメールも開けなくなってて凄いストレス、とLINEが入った。後から判明したのだがどうも1週間くらい前から連日、ほぼ徹夜でキィーーーーーーッとなりながら何とかしようとしてたらしい。

この日は携帯会社に行くこと、Wi-Fiが原因だと思うから電話してみる、とLINEがあった。この時、固定電話はなぜか不通になっててスマホでのLINE通話のみの状態だった。あんまり寝てない頭でやろうとしてたのが仇になったと思う。早く寝なさいと言っても、ずっとかじりついてたらしい。

結局その翌日に携帯会社には行ったらしいのだが、その前に携帯のアカウント設定をするページのパスワードが分からないと連絡があり、通帳を持っていけばいいの?と言い出したので慌てる。パソコンのメールが見られなくてかなりイライラしてた。言ってることがもはやよく分からないけど、とりあえず通帳は持ち出しちゃ絶対ダメ‼️と説得した。

サンタさんが角曲がったとこまで来てるかなというくらいクリスマスがすぐそこ、という翌日。家の用事がアレコレとあり、久し振りに休めた夫とこなさなければいけなかったので、前夜も当日の朝もかなり悩んだ。だが、どう考えても母の様子はおかしいから行くことにした。

行って良かった。

固定電話が不通、インターネットが使えない、もちろんパソコンメールも見れない。これは相当苦労したが、モデムやルーターの配線がぐちゃぐちゃになってたのだった。OMG。

本人曰く、退院して帰宅したら埃が溜まってて(でしょうね)掃除したんだけど手が当たって一本抜けたけど(んなわけないと思うけどなー)元にちゃんと入れた、と。

たぶん全部抜いて拭いて違う場所に差したと。そういうことだと思う。埃じゃ死なないから!2ヶ月しないうちにお引っ越しだから!それまではお掃除しに時々来るから!と伝えるが不安が残る。

無線キーボードも使えなくなってる、電池も入れ替えたというので確認したら、単にスイッチが入ってないだけだった。どの電池が新しいかも分からなくなって次々と買ってきたらしく、大きなビニール袋いっぱいに電池が入ってた。

配線がおかしくなってたからインターネットもメールも見れなかっただけなのに、なんか変にいじっちゃってメールソフトの設定はもう私も分からない状態になってた。全く知識がなければ良かったのだが、以前の母は近所のパソコンクラブに通い、不具合があればサポートデスクなどを探して電話で相談しながら直せるくらいだったのがかえって仇になった。

この日から、母の頭は坂道を転がるようにお留守になっていった。

翌日はエアコン動かない、とLINEが来た。エアコンのリモコンもダメ、電池を変えてもダメ。新しい電池を買ってこなくちゃと言う。いえいえ、電池は大きなビニール袋いっぱいにお持ちでしたよ。

そして、母はリビングにあるテーブルタイプのおコタを使おうとしたらしい。これがあまり暖かくなくて寒くて堪らなかったようだ。エアコンは、入院してる間に放置してたので埃が溜まって動かなくなってただけだった。おコタはもしかしたらスイッチを入れてなかったのではなかろうか。というのも、とても暖かいホットカーペットも敷いてあるのだが、その存在もすっかり忘れてたのだ。

今思うと母のせいではない家電の不具合も含めて、次々と壊れていった(と母は感じた)機械類に毎晩遅くまで、もしかすると明け方まで格闘してほとほと疲れ切ってたんだと思う。パソコンも、今の電化製品はとても複雑になった分、素人が直すのは若くったって大変だ。それを80台後半の、もう90に手が届きそうな母がたった一人で格闘してたかと思うと涙が出てきた。

サンタさんの到着し始める頃、母の調子は最高に悪かった。印刷ができないとエアコンが使えないじゃない?と言い始めた時は青ざめた。会社に向かってた夫に連絡を取り(それまでは、えー?そうかなぁ?しっかりしてるよ?と言ってた)、夫からも電話してもらうと速攻で「今から行ってくる」と私の不安が気のせいでは無いことが分かったらしい緊張した声で連絡があった。

結局、その日は会社の帰りも様子を見に行ってくれた。実家は距離的にはそう遠いわけではないのだが、とにかく渋滞する幹線道路を通らなくてはならないので時間が掛かるのだ。

そもそも、我が家からの手助けが気軽にできる距離ではないため、近所のサービス付き住宅への入居することになったのだ。

それから夫はほぼ毎日、食料を持って会社の帰りに私の実家に寄ってから帰宅してくれるようになった。

サンタさんは北極にお帰りになり、世間がお正月の準備に入ろうとしてた頃、私は考えてた。

長くなったので次回に続く。
まだまだ序の口!