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バラナシに行ったら、やっぱり死生観が崩れそうになった

インドといえばガンジス川。ガンジス川といえばバラナシ。バラナシといったらインド。永遠リピートできるくらい、バラナシはインドの象徴の地です。

バラナシは常に私の心のどこかにあって、憧れと恐怖が入り混じり、もう2年もインドにいるのになかなか足を踏み入れることができませんでした。

そもそも私が旅人としてのキャリアをスタートさせたきっかけは(←誇大表現)旅エッセイストのたかのてるこさん著書『ガンジス河でバタフライ』を学生時代に読んだことに遡ります。

死体が浮いている、人が押し寄せて沐浴している、祈っているなどの場面を想像すると、私の中の何かが変わってしまうのではないか。

いまは私はバックパッカーではなく、いわゆる普通の家族を持ち、母となり子連れでの旅。危険は犯せないし、ここに来て価値観が大きく変化してしまったらどうしよう。行く前からそんなことを思わせるパワーを持つのが、このバラナシでした。

バラナシ、これぞインド

ガンジス川は現地ではガンガーと呼ばれ、ヒンドゥー教徒にとって憧れの聖地です。ガンガー自体が神様として崇められています。

ガンガーを目にした瞬間、私は体が少し熱くなったのを覚えています。息子の握る手をぎゅっと握り返し、水面へと近づきました。

祈る人

木製の古い手漕ぎボートに乗り込み、心許ないライフジャケットを装着し、ガンガーを下ります。50ルピーで売り子さんから買ったお祈りのお花をガンガーにそっと放ちました。願い事をし、願いが叶ったらまたガンガーにお礼参りしに来るのが良いそうです。またいつか来ること、あるかな。

お祈りのお花

ちなみに息子が願い事をこっそり教えてくれました。「ドローンが欲しいです」とガンガーに伝えたそう。斬新だな、令和だな。

ガンジス川沿いにはいつくか火葬場があり、常に煙が立ち込み、薪をくべる職人(代々の職業)や神様の遣いである牛がご遺体を見守っています。

生と死が行き交うガンガー

ガンジス川で火葬し、遺灰をガンジス川に沈めるのはヒンドゥ教徒にとっての夢。死んだら地方から何日もかけて遺族がガンジス川まで遺体を運ぶほどです。

私は小学生の頃に父を病気で亡くし、火葬がトラウマでした。なんで焼くなんて残酷なことをするのか、意味が分からず泣き叫びました。でもガンジス川の火葬場を眺めていると、不思議と恐怖心はなくなり、自分と遺体との境界線があやふやになっていきました。

父親の葬儀を終えた少年の散髪。決意を感じる横顔に、幼い自分を重ねた。

お金持ちも貧者も、ガンジス川に葬られるのが最大の幸福。ここで死にたい、焼かれたいという思いがあれば死も怖くないのでは。私にはまだ、死に関する希望はありませんが、生と死は対極ではなく、連続であることを感じました。

生の象徴である自分の子どもが、当たり前のように火葬場を目にし、葬式の手順をガイドさんに質問する姿を見て(焼いたらどうするの?川に沈めるときはどうするの?箱に入れるの?ガイドさんもここで死ぬの?など純粋で直球の質問)、自分の固定観念がゆるやかにガンジス川に流れ出していきました。

一方、現実的な問題として近年ガンジス川での火葬費用が高騰し、貧者が利用できないのは不公平だと署名活動が起こったそう。

生きていても死んでいても、大きな格差が横たわる世界線。人は死んでから幸せになることを願っているのだろうか。そのために現世での極端な格差や差別を甘受しているのだろうか?輪廻なんて本当にあるのか分からないんだから、現世を良くしようと思わないのだろか?そんな一外国人の無駄で果てしない疑問が湧いては消えていきました。

夜のお祈り

夜になると、何千人もの人々がお祈りのために集まります。カーストの最高位であるバラモン(司祭)が歌うように祈り、煙があたり一面を覆い、鳴り止まぬ鐘の音が人々をトランス状態へ誘います。あれはたしかに異世界への入り口、という気がしてしまいました。

団体参拝客や観光客を相手に、神様の衣装と化粧を纏った幼い少女たちが売り子をしています。児童労働、夜間勤務という見方はナンセンスなのでしょうか。頭がぼーっとしてきたのでガンジス川を後にしました。

生老病死が道端に

物乞いの人々がいるのは分かっています。しかしガンジス川に抜けるメインストリートは強烈でした。四肢がない人が、脇に容器を抱えて地面を叩く金属音で小銭を集めようとしているのです。それも一人ではありません。ずらっといるのです。

このような重度の障害があれば、当然のことながら路上での自活は困難です。介助者が路地のどこかにいてほしい、一日かけて集めた小銭がマフィアに横取りされないでほしい、お願いだからこのような方たちは国の福祉で保護されて欲しい、そんなことを祈ることしかできませんでした。

なぜ私はここにいて、彼らはそこにいるんだろうか。自分が全く意味のない人間に思えました。そして人々は何を祈っているのか、ヒンドゥの神々は何を望んでいるのか、さっぱり分からなくなってしまいました。

祈りと生活が密接に関わる

徒然と書いてしまいましたが、バラナシという場所は、人間の生老病死、そして祈りのパワーに圧倒される、間違い無くインドを象徴する場所でした。


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