涙の行方
窓から差し込む朝日の気配を感じた。
ダルい身体を起こす。銀色のハイヒールが足元に転がっていた。
昨夜、駅からの道すがら缶ビールを飲み干し、足をもつれさせて玄関先に倒れこんで、そのまま意識が遠のいたのだ。
『ずっと一緒にいようね』
わかってる。
嘘じゃなかったんだよね。その時は本気だったんだよね。
シャワーを浴びて、ドライヤーをかけて簡単にメイクを済ませ、バッグを持って、3か月前まで毎日履いていたペッタンコ靴を突っ掛けて仕事に向かう。
わかってた。
童顔の私にはハイヒールは似合わない。好みの大人の女性になろうと無理してた。
お酒だって大嫌い。だけどカクテルが似合うような女性がいいっていうから。
久しぶりに駅の近くのミルクスタンドに寄った。
白い瓶牛乳を一口飲む。懐かしく優しい冷たさが喉を潤した。
「キライなものを無理に飲むことないと思うんだ」
背後から声が聞こえて、振り向くとランドセルを背負った男の子が牛乳瓶を手にして、自分より背が高い女の子に向かって話していた。
「ボクは毎日飲めって言われても、どーしても牛乳がキライなんだ。これはきっとボクの細胞のひとつひとつが拒否してるってことなんだ。細胞の記憶なんだよ。それに逆らっちゃいけないと思うんだ。だからここに来るのは今日が最後」
「明日も来るよ。お母さんに言われたでしょ」
言いながら女の子が不意に私の顔を見て、表情を曇らせた。
「お姉ちゃんも牛乳がキライなの?」
男の子も私を見た。
「キライなら無理して飲むことないよ」
気付いたら、涙で頬が濡れていた。
『本音を話さない謎めいた女性がいいね』
縛られていた言葉を振り払う。
「好きだよ」
最初は呟くように、
「ずっとずっと好きだった」
続いて少し口調を強くした。
だから嬉しかったの。告白されて付き合えるようになって嬉しくて嫌われたくなくて。
連絡がとれなくなった。昨夜、呼び出されて別れ話をされた。
『ごめん、別れた彼女とやり直すことにした』
手にしていた牛乳を一気に飲み干した。
「お~」
男の子が感心したような声をあげる。
「お姉ちゃん、すごいね」
という女の子にこたえずに店を出た。
すごくないよ。子供に気をつかってもらって笑顔も返せない。
陽の光がにじむ。昨夜が今朝に押し寄せて、心が叫んでる。明ける日はくるんだって、今は見えない明日はくるはずだって。
交差点を駆け抜けた。そして駅の階段を駆け上る、履き慣れた軽い靴で。
了
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