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メッセージ

 待ち合わせ時間より早くに着いてしまった。
 私と彼は毎週金曜日の午後7時に駅前で落ち合う。その約束は習慣のようになっていた。

 時間潰しに、本屋に入った。本棚に手を伸ばし、指先に触れた薄い本を手にとり、少ないページを繰る。毛糸を売りに来ている羊飼いの少年と、その町に住む少女の物語だった。

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「こんにちは」
 少女は、毛糸を前に佇む少年に声をかけた。少年は山をひとつ越えた村に一人ぼっちで住んでいて、友達もいないのだという。毛糸を買おうとする人はいないようで、少女はわずかなお小遣いをポケットから出し、少年から毛糸を一玉買った。「素敵な毛糸ね」と少女が言うと少年は笑顔を見せ、また7日後に来るからと言って帰っていった。

 次に少年が来た時、やはり町の誰も毛糸に興味を持っていないようだったので、少女はポケットから残り少ないお小遣いを出し、少年から毛糸を一玉買った。

 そんな二人のやり取りは、何度か繰り返された。少女には少しずつ毛糸を買うのが苦痛になっていたが、少年を悲しませてはいけないと思った。実は少年も、毛糸を売りに来るのが苦痛になっていた。何故なら、今では少年には友達もでき、自分の住む村で毛糸を売れるようになっていたからだ。しかし自分が来るのを楽しみにしてくれている少女のために、少年は山を越えて町に通い続けていた。

 ある日、少女は思い切って言った。毛糸を買えるだけのお小遣いが残っていなかったのだ。
「もう買えない」
 少年は初めて、お互いの思いやりがお互いの重荷になっていたことを知る。
「もう来ないよ」
 少年は言う。
 少女も少年の気持ちに気づき、二人は顔を見合わせて微笑んだ。
 少女と少年は別れた。二度とここで会うことはないかもしれないけれど、互いを思っていた優しさは、決して消えることないあたたかい光になって心の中に残っていた。

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 私は立ち読みしていた本を閉じ、本棚に戻した。どうして、この本を手にしたのだろう。
 ここに来る途中で彼が亡くなってから、一年近くになる。あまりにも突然の別れだった。
 毎週会っていたこの場所に、彼は今でも来ているような気がして通い続けていた。彼を悲しませてしまうのではないかと思い込み、通うのを止めるきっかけがつかめなかったのだ。

 鼓動が早くなるのを感じながら、早足で本屋を出た。

 周りを見回し、待ち合わせ時間を5分過ぎていることを確認する。ふと包まれた風の中に、彼の気配を感じた。そっと目を閉じると、涙が頬を伝った。

 ――ありがとう。

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