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平和を学ぶ旅④沖縄・慰霊の日『沖縄戦全戦没者追悼式』(沖縄県糸満市)

東京でタクシードライバーをしております、みやびと申します。

慰霊の日にはなるべく沖縄へ行こうと考えており、今年は会社の人を誘い、総勢6名で訪れました。

沖縄戦全戦没者追悼式の式辞を、沖縄県議会議長の赤嶺氏が読み上げました。

私が沖縄へ来る度に思うのは、この平和こそ似合うのどかな暑い島で、なぜ地上戦が起きてしまったのだろうと。

燦々と輝く太陽の下で写真を撮ると、かくも美しい。晴れた日に見上げる海と空には神様が宿っているかのような神々しさ。

一方で、地図を覗くと太平洋の要石 -KEYSTONE OF THE PACIFIC- であることが一目瞭然です。

たとえば英国は、半径1万キロの円を書いた時に世界中のほとんどの地域をすっぽりと覆うことができます。

大航海時代、英国が7つの海を支配できたのは、世界各地へアクセスしやすい場所に位置していたことが大きいのではないか。

沖縄も同様に、那覇を中心とする半径1万キロの範囲には、ユーラシア大陸のほぼ全域、オセアニア、アフリカの東半分、北米の西半分が含まれます。

これほど世界各地へのアクセスが容易な地域は他にありません。

かつての琉球王国は、交易国でした。

日本本土よりはるかに小さな島国である琉球が、有利な立地を狙われながら存続してきたのも興味深い話です。

だからこそ、地政学の観点からも如何に沖縄を守るか?は傍観するのではなく、個々でも考えてみたい。議論してみたい。

… 私が今回、一緒に旅した仲間とはこんな話も語り合えないなぁ、、、とガッカリしつつ。

自分の思想が全部正しい、みたいな人とは話し合いなんか出来ないと、最近の私は諦めてしまうようになりました。

そんな時、多様性や異文化を理解し合える新しい考えの人達に期待しちゃうんですよね。

古き考えは老いによって儚くなって然り。しかしながら、老いぬ頭を持つ人ならば人との輪に居るべき。

自分も老いを感じる年齢となり、身体が思うようにならないことを恐れていたりもしますが、1番恐れなくてはいけないことは、考えが老いることなのかもしれませんね。

自分の考えに固執し、押し付けるような人になってはいけない。

今回の旅は、反面教師から頭の老いを学ぶことだったのかもしれませんね。

さて、沖縄・平和の旅。

毎年恒例、12時の黙祷を捧げた後、沖縄県遺族連合会会長からの追悼の言葉を聞き、献花が始まります。

様々な政治家や著名人の名前が呼ばれますが、その名字から沖縄出身だろうと想定できる方々ばかり。

沖縄返還後に生まれた私達に馴染みの深い、元SPEEDの今井絵理子さんもいらっしゃいました。

献花が終わると、まだ次に進まぬ間に拍手喝采が沸き起こりました。

沖縄県知事の玉城デニー氏のスピーチ、平和宣言が始まります。

いつも、日本語のスピーチ、沖縄言葉のスピーチ、そして英語のスピーチをします。

-私たちの祖先に対して誇れる沖縄でありたい。

私たちは近隣諸国との交流により信頼関係を築いてきた歴史があります。

私たちは平和を大切にする心があります。

私たちは価値観の違いを認め合う精神文化を継承しています。

沖縄県が世界の恒久平和の架け橋となるよう、ともに目指してまいりましょう。-

デニー氏のスピーチは、この日の琉球新報や沖縄タイムスにも掲載されていますので、ご興味のある方は是非読んでみてくださいませ。

終わった後も、拍手が鳴り響きます。

沖縄県では、基地反対派と基地推進派に分かれていると聞きます。

必ずしも反対意見ばかりではなく、基地による恩恵… 雇用だったり、補助だったり、今の沖縄県を潤わせるほうを望む人も居られる。

世代はいくつか、なんて書くのはナンセンスですが、旅の仲間となってしまったガンコは唯一の60代。

この話題を振ると、「推進派は政府の策略だ!」と声を荒げていました。

デニーさん登場後の興奮冷めやらぬ壇上に、高校3年生になる仲間友佑さんが登りました。

至って普通の青少年に見えます。

沖縄の子ども達に驚かされるのは、子どもに有りがちな照れ隠しがなく、皆が皆、とても真剣で真面目に平和を考えているところです。

仲間さんの声は、最初のひと言からとてもよく響きました。役者とも聴きまごうほどハッキリしていて、力強いのです。

そして、詩の内容が簡潔で深く… これが沖縄の青年なのだと頼もしく感じました。

赤嶺氏より、デニーさんより、この沖縄の少年の朗読は私の頭に残り、耳に響きました。

-平和が欠けることの怖さを 僕たちは知っている-

本当に素晴らしかった!

次世代を担うこの少年たちが、これほど平和の大切さを思うなら、きっと安心だと、、

続く。→

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