大老・井伊直弼を訪ねて②(滋賀県彦根市) 2022年9月8日
日本史、特に幕末好きの私は、時代を大きく揺るがした『日米修好通商条約』『桜田門外の変』の当事者・井伊直弼と、彼の治めた彦根に並々ならぬ関心がある。
井伊家は元々、遠江国(とおとうみのくに)『井伊谷(いいのや)』の出身。現在の静岡県浜松市にあたる。
関ヶ原の合戦で武勲をあげ、改易(没収)となった石田三成の所領を拝し、彦根へとやってきた。近江と呼ばれる彦根。遠江から近江へ行くとは、なんとも面白い。
私は期限間近となった青春18切符で、この彦根まで来た。鈍行は乗り放題だが、路線によっては食事が出来る雰囲気などない。
駅前お城通りという、まんま彦根駅から彦根城までの道沿いにある食堂で、昼食を取ることにした。『すし浜』という店だ。看板を見るととにかく良心的な価格で写真付きなのが気に入った。
中へ入ると、ゆるキャラとして広く知られた『ひこにゃん』が飾られていて、なんとなく彦根感がある。嬉しい。
座敷が数席、食卓も数席、カウンターやキッチンに女将含む4人の女性が居た。
ここでは「近江牛焼肉定食、ください!」と言いたいところだが、失業中の身分である。私に ¥1,950‐など払えるはずもなく、その下の近江ちゃんぽん¥650‐を注文した。旅先といえども私の生活水準は変わらない。
この『すし浜』だけでなく、彦根には寿司屋があちこちにあった。滋賀県と言えば内陸地だが、琵琶湖をグルッと囲んだ立地は湖魚がよく捕れるようだ。
残念ながら私は寿司もいただいていないのだが、価格から見て彦根で暮らす人々の一般的な食事なのではないかと思う。
さほど期待していない近江ちゃんぽんがきた。お腹が空き過ぎて、私はとにかく食べられれば良かったのだが、、、彦根!いや滋賀県の味を、知らな過ぎた。驚くほど美味しかった。
チョー(;゚Д゚)ビックリ
東京の名店とされるラーメン店など及びもしないほどだった。味噌でも醤油でもない出汁の味。しかし物足りなさなど微塵も感じさせない。この澄み切ったアッサリ味のスープが、私の旅の疲れを癒してくれた。
いやーん、スープ残せないじゃない~!と、すっかり飲み干してしまった。(美容のため、基本スープは残す)
中に入っている肉はおそらく、近江牛ではなく豚肉だろう。彦根まで来て、ブタイチさまか(笑)とつぶやきたくなる。(豚肉好きな一橋慶喜さまの略)
煮干し&豚肉の味なのだろうか?帰り際、女将に尋ねてみた。すると「鰹節なんですよ~」と一言。
トイレから出て手を洗っている時、カレンダー下にデカデカと「京都」「鰹節」と書かれた文字を発見。店のこだわりを知るとともに、彦根特有の味を食べずに終わりかと、彦根に憧れる私はちょっとだけガッカリ。
京都守護職を任されていた彦根藩。味でも京都の影響を受けているようだ。(一軒でしか食べてないのだが) この店の近江ちゃんぽんはそれほど美味しかった。
彦根人はもっと関西弁で話すかと思いきや、標準語の印象しかなかった。この女将だけでなく、交番のお巡りさんやコンビニ店員など、彦根に暮らす数名と会話をしてみたが、夢京橋キャッスルロードでたこ焼きを売っていたお母さん以外は皆、私に対して標準語で答えていた。
… 彦根出身の歌手・TMレボリューションの西川貴教は、関西弁なんだけどなぁ。
260年の江戸時代、譜代大名の筆頭であった井伊家。大老を5人も輩出する名門の家柄である。
さらに江戸藩邸は、現在の憲政記念館(日比谷公園近く)、中屋敷がニューオータニ、下屋敷が明治神宮、菩提寺が世田谷にある。江戸時代においても、なかなかセレブな立地である。
また『譜代大名』とは、徳川家の昔からの家来。他に、関ヶ原の戦いで負け服従した『外様大名』徳川の親戚筋である『親藩』の3つとなる。
徳川四天王と呼ばれた酒井家、本多家、榊原家、特に井伊家は、最も多い所領を得ることとなった。
対して水戸は、親藩の中でも徳川御三家の家柄で、将軍に抜擢される可能性のある名門中の名門である。藩主になると「徳川」を名乗り、参勤交代さえも免除されていた。
徳川御三家『水戸』 VS 筆頭譜代大名『彦根』
『桜田門外の変』だけでなく、その歴史へと行き着く『日米通商通行条約』『将軍継子問題』など、井伊直弼と日本の歴史は色濃い。
井伊直弼とは、どんな人物なのか?32歳までを過ごした『埋木舎』を見よう。お腹を満たした私は、食堂を後にした。
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