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年齢に押しつぶされそうなあなたと私へ

日本の文化では、いろいろなことを分類する。
女性誌を例に挙げると分かりやすい。年代別・ママ(カジュアル~ラグジュアリー)・キャリア派 etc……とても細かく分かれている。
所属する「ワク」が決まっている方が落ち着くから? そこから浮かないことが大切だから?


確かにワクが決まっていると、便利なこともある。求められる役割や立ち居振る舞いに悩まなくて済む。けれど、程度を過ぎると「あるべき姿」や「常識」として、社会的な圧力に変換され私たちを苦しめる。その代表が「年齢」ではないだろうか。

透明な「あるべき姿」が詰め込まれる

私は40代、「アラフォー」と呼ばれる世代だ。ただ、それだけのはずなのに、アラフォーという言葉には、目に見えない意味がたくさん込められる。転職の面接ではこんなことを思われてるのかな、と居心地が悪くなる。

独身かな・既婚子持ちかな、子育て中だからフルタイムは無理かもな、子供を優先して早退とか多いんだろうか、介護が始まるかも、若い子とうまくやれるないかも、そうなると大切な仕事は任せられない、未経験で40代は期待できないだろうな……

こういった圧力が、日常生活のあらゆる場面で、じわりじわりと追いつめてくる。一時期、40代の私には新しい可能性や挑戦は、ただ無為なことなのかな、と悲しくなってしまった。

年齢を聞かれない文化

海外で暮らしている人の話を見聞きするうちに、どうやら年齢に全く無頓着な国があるようだと知った。北米では採用面接で年齢を聞くことは差別であり、訴訟問題になるそうだ。

そして年齢をまったく気にせず、自分の心に素直に生きている人たちがこのnoteに存在した。

そのうちのお一人は、50代でダンスのインストラクターになったそう。日本なら、家族総出で止められかねない。
年齢を気にしなくていい世界がある、年齢を気にせず好きなことに挑戦している人たちがいる、ということに心の底から喜びが沸いた。

人生100年時代 まだまだ50年以上残っている

「もういい年齢だから」と制限をかけてしまうのは、日本にとっても大きな損失ではないだろうか。少子化が進み、働き手は減る一方なのに、残っている人たちのチャンスまで芽をつんでいるとは、本当にもったいない。

そして今は人生100年時代、40歳にはあと50年以上も時間がある。「もういい歳」と言っていたときとは時代も医療レベルも何もかもが違う。
まずは長い間に醸成されてしまった、「いい歳だから」と諦めるクセを少しずつ捨ててみよう。そしてやりたいと思ったことを、小さなことから始めてみよう。

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