声の小さい者が考える、"大きな声"の必要性について。

私は子供時代から声が小さく、誰かに何か伝える事を諦める事が多かった。
家庭でも、おとなしくて手が掛からないし楽な子供と思われていた。

加えて物音に過敏で、急に発せられる大きな声や音が苦手だ。

同級生など、無意味に暴れる子供や怒鳴れば通じると思ってる教員など。萎縮させてるだけだ。
例えば授業中トイレに行きたくても、訴えられずに失禁してしまう子供は、訴求力がとても低いだろう。

また学生時代の友人で、普段の会話が難しいくらい押さえ込んだ話方をしているのに、大きな声出そうとすると、急に怒ったような口調でしか出せない子もいた。
これも適切な発声とコミュニケーションを身に付けられなかったパターンだろう。

声が小さくなるフィジカル+メンタルな理由に、人は緊張していたり自信がないと、声が小さくなる。と教わった事がある。
そんな時は、肩を一瞬ギューとすぼませて、一気にドンと脱力する「ギュードン体操」というのを教えてもらった。

癇癪持ちの上司の怒鳴り声など、一気に緊張状態に陥る。自律神経がやられ、喉がつかえる。

誰かに物が言えず飲み込み、大きな声で恫喝する人間を憎んで来たが、生活する上ではそうも言ってられない。

"大きな声"を出す必要性を考えてみた。

生命に危険がある時。
例えば、誰かに殴られそうな時。
誰かに助けを求めなければならない。
こいつは、気弱だろうと思ってる相手を怯ませる効果もある。
防犯目的なので、アサーショントレーニングは義務教育レベルで必要。

お店でなかなか注文を取りに来ない時。
これはよくあるのだが、声が通らない=存在を軽視されることが現れてる事例だろう。
ここは思いきって、陽気な感じでタイミングも図りながら伝えたいところ。

仕事上やむなく話す事は、私も多い。さすがに話し方もトーンも慣れてくる。
ゆっくり・はっきりを心得る。

経験上多いのが、女性には多いかと思うが、声の細い高い方は、周囲の刺激に欠き消される。物理的ノイズである。
加えて、お相手が"意味を理解したくない"場合もある。わざわざ聞き返す人も居る。これが意図的ノイズだ。

さらに悪いのが、聞こえない分からない事を、声が小さい者ばかり責め立てて怒りを露にする者もいる。立派に精神的恫喝だ。伝える側は余計萎縮、聞き手は怒りで殴らんばかり。これは精神的な虐待である。
怯まず、気丈に発声する。隙をみせては危険である。まともなコミュニケーションとはもはや言えないパターン。

私とて、大きな声出したい時はある。音楽など聴きながら帰ると、うっかり歌ってしまう。

ついでに"大きな声"の適切な使い方も考えてみた。

他人を脅かすために出さない。
最低限の対人マナーではないだろうか。

TPOを考える。静かな場所はお静かに🤫

おしゃべりも楽しいと、自ずと声が出てしまう。周りには過敏な方も居るかも知れないな~、という気遣いが欲しいところ。これは私もたまにやらかす。誰かと話すのは、やはり楽しい事だ。大事な時間でもある。

ところ構わず歌わない。
コロナ喎でカラオケもままならないが、ボイスイレイサーなど使うと、ストレスも軽減&好きなだけ歌える。無理して歌うと、小声さんはすぐ喉傷めるから気を付けたい。

私以外の小声さんとお話するときは、自分のテンションだけで話さず、静かな場所でしっかり向き合いたいが、実際全ては難しく、
出来るだけ、物理・刺激・意図的ノイズを省く事を意識している。手を止めて顔を見るなど、聴く姿勢はとても重要。
経験から、小声さんの見ているポイントや情報等は、お声の多い方より繊細な部分を見ておられる場合がある。
取りこぼしたくないので、出来る限りスクイーズしたい。これを繰り返すと、小声さんからも信頼され、情報をくれる事が多い。
小声さんネットワークはナめないほうがいい。自信持って良いところ。

今でも無理して大きな声出す必要はない、と考えている。
何かを諦めたり不当な我慢する事なく、適切な使い方とマナーで、好きなトーンで暮らして行けたら、これはひとつの【幸福の形】ではないだろうか?

最後に自己弁護。筆者、大きな声出す人全部が嫌な訳ではありません。
その方も、必要性があるから大きな声なだけです。

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