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言葉を"ちゃんと"届ける

最近、言葉を"ちゃんと"届けるってどういうことなんだろうって、考えてます。

そんときに、よく思い出すモロッコでのエピソードがあって、それは、アスニ村に赴任して3カ月目くらい、村の小学校で、校長のムスタファさんと授業について話をしていたときのことで。

(ムスタファさんはめっちゃいい人で、今でもよくしてくれる)

ちょっとしかできないフランス語と、覚えたての...というか覚えてもいないアラビア語で、こんなことやりたい、子供達のこんなことが知りたい、先生は何を求めてるのか...とか、ぐわーーーっていろいろ聞いたんだよね。一方的に。

そしたら、ムスタファさんは、じーっと俺の言葉に耳を傾けてくれて、とにかく黙ってて。ずっと。

で、一言。

「ホサ(俺のニックネーム)が何を言ってるのか、正直よくわかんない...だけど、"何か言いたいことがある"っていうのは、すごくわかった。だから、まずは一緒に「言葉」を勉強しよう。子供達も教えてくれるはずだから」

そういって、午前中、俺が空いてる時間に、小4の先生のアラビア語とフラ語の授業に参加させてもらえるようになって、何人かのクソガキに(アラビア語の発音がむずくてできなくて)馬鹿にされたりもしたけど笑、1ヶ月ぐらいいたらアラビア語が少し話せるようになり、何より、"言葉が話せないけど、でも一緒に言葉を学ぼうとしているホサ"っていう風に、学校のみんなにすごい認識してもらえて、後々、人間関係作るときに、すごい力になった。

で、このエピソードの何がすごい自分の裡に残ってるのかというと、それは、この時の、ムスタファの態度...というか、(傾聴の)姿勢はもちろんなんだけど、


何を言ってるのかわかんないけど、でも何か言いたいことがあるっていうことは届くんだ。

ここなんですよね。
これってすごく大切なことだなと思うんです。


”何か言いたいことがあるっていうこと”
これがないと、言葉は生まれない。逆にいうと、この"本当に目の前の人に届いて欲しい、言いたいことがあるから"、「言葉」にして、なんとか届けたいって思うわけで。

その届けたいことがあるっていう熱のままに、"ちゃんと"目の前の相手に言葉を届けないといけない。そう思ったんだよね。

(で、あ、だからか!言葉を勉強しないとダメなんだ!言葉なんかどうでもいいなんとかなる、というのは違う。それは絶対に。って、めちゃ腑に落ちた)

本当に感謝です。

おそらく、ムスタファは、俺の言葉じゃなくて、たぶんだけど、"俺の声"を必死に聞きとってくれたんだろうな。言葉しか聞かない人だったら、たぶん相手にされなかっただろうと思うし(やれ、どの文法が違うだなんだって。モロッコでよくいたタイプではなく)。


これ、モロッコで"ぐぐっ"ときたシーンの1つでした。


言葉を"ちゃんと"届けるために「言葉」を勉強して、そんでもって、言葉ではなく声を聞ける人であるように意識して。そうありたいって思ってます。

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