身を清めて待ってます
「あっ、お久しぶりです」
年に一度、土曜日の午後、あたしの働いていた緩和ケア病棟では、大切な家族を看取った人が集まり、入院していたときのことやら、その後の暮らしぶりについてやら、共に語りあう日がありました。
「初瑠さんが来るのが楽しみで、いつも身を清めて待ってたよね」
笑いながら話すのは、40歳を迎えたばかりの若い女性です。彼女のご主人、若くして癌の末期、手術して、抗癌剤治療をして、余命を宣告され、あたしのいる緩和ケア病棟に転院してきました。
ナースステーションから左側に伸びる廊下、手前から2番目の病室が彼らご夫婦の部屋でした。広々とした特別室、簡易ベッドになるソファに奥さんが座り、いつも編み物をしていました。
転院してきてからモルヒネが開始、主治医による微妙なさじ加減の痛みのコントロールがうまくいっているようでした。
でも、痛みのスケール、数値には表れない、痛みともいえない痛み、不快な感覚が彼にはあるようで、そんなときはマッサージを希望しました。
それに、彼いわく、マッサージすると追加の痛み止めが不要となって、頭も心もスッキリする時間が増えるということでした。
遠慮がちな彼、日勤帯では何かと忙しいし、ゆっくりマッサージを受けられないと思ったのか、夜勤になるのを待ちかねていました。
「いつ、夜勤?」
「明日ですよ」
夜勤の日、挨拶にいくと「身を清めて待ってます」と笑っています。
軽く夕食とって、奥さんに手伝ってもらってシャワーして、身を清めて待っている彼。
あたしはと云えば、夜勤の相方もわかってるので、さっさと検温して、さっさとお弁当を食べて、申し送りして、彼のもとへ。
そう、マッサージは病棟が就寝時間になってからでした。他の患者さんに寝てもらって、そこからがあたしの好き勝手な時間でした。
いつ寝落ちしても大丈夫なように準備万端の彼はすでに横になって待ってます。奥さんは編み物をしながらテレビをみています。
「嵐にしやがれ、好きなのよね」
嵐をみている奥さんと笑いながら話しているあたし、穏やかな寝息の旦那さん。とっくに寝落ちしているけど、嵐にしやがれを一緒にみて、嵐の誰が好きか話して、お茶をして、「じゃあ、休憩してきます」と退室。
グルリと他の病室を見回ります。静かに寝ている患者さんたち、協力ありがとう。
でも、病状が進行していくと、段々と痛みが強くなってきて、それに合わせてモルヒネの量も多くなりました。
薬で100%、痛みが無くなればいいけれど、痛みは十人十色、痛みのコントロールが上手くいく人もいれば、医師からみたら十分コントロールできているようにみえても、本人にとったら不満足なこともあります。
それに痛いというより身の置きどころのないしんどさがあり、それは鎮痛剤では楽になりませんでした。
そんな不満を埋めるため、希望されたらいつでもマッサージをしました。ほんの一時でもいいからウトウトできた、痛みを忘れられたと言われるためなら、いつでも、たとえ担当患者さんでなくても馳せ参じました。
たとえ身を清めることができなくなっても、ベッドに横になれなくなっても、どんな格好でも、彼にとって楽な体勢をとってもらい、気休めかもしれないマッサージをやり続けました。
「身を清めて待ってます!彼の口からそんな言葉がでてきて、ほんとうにおもしろかったねぇ」
毎年、毎年、同じ話をしたもんです。たとえオチが分かっているような話でも、話して、泣いて、笑って、そんなたわいもない会話、そんな時間が奥さんもあたしたち看護師も、前に向かわせてくれました。
久しぶりに昔を振り返ってみました。看護師だった自分、遠い過去のことのようです。