花と生きる
同じ頃、ふたりの華道の師匠さんが緩和ケア病棟に入院していました。
お一人はわたしより少し年上の60歳代、もうお一人はひとまわり年上、おふたりとも品と教養と知性、そして気概のある女性でした。
ある日、庭にあった花を持ちより、わたしが花瓶にさしているのを見ていた年配の女性、見るに見かねたのか、「代わりましょう」と手を出してきました。
その時は、まだ、彼女が華道をやっていると知らなかったのですが、お見事!
適当に持ち寄った庭の花が、安っぽい花瓶のなかでイキイキとしているのです。命を吹き込むとはこういうことか、と思いました。
実は彼女はわたしの受け持ち患者さん。贔屓ではありませんが、嬉しくなって、ついエレベーターホールのど真ん中、エレベーターが開くと真正面にくる場所に飾りました。
それまでも穏やかな人柄で人気だった彼女、そこに華道です。元来、彼女に備わった才能なんですが、病気になったことで封印、花を手にすることは無かったそうです。
それが、担当看護師のあまりの不甲斐なさに華道家魂が目覚めたのでしょうか。
ところがそんな彼女に対抗心を燃やし、もう一人の若い師匠がカミングアウトしました。
別の流派の彼女、フジコ・ヘミングの奏でるピアノの演奏が好きで、自分自身とフジコ・ヘミングの人生を重ねて聴いていると話していました。
クラシック音楽好きなわたしと意気投合し、珈琲を飲みながらCDを聴く仲でした。
おふたりとも余命が告げられていましたが、そんなものは棚上げ、わたしの持参する庭の花を活けに、活けましたね。
共有スペースのホール、検温が終わった人が集まってきて、ふたりが活ける花を見守っていました。
ふたりともお話も愉しくて、まるで、毎日、假屋崎省吾さんが来ているみたいでした。
病棟のみならず、希望する患者さんにも花を活けものだから、どの病室に行っても見事な花が飾られていました。
剥き出しの対抗心、でも、それは嫌味のない対抗心であって、花を活けることが大好きな証のように見えました。
ある日、おふたりで見事な合作のお花を活けてくださり、それを最後におふたりとも床につきました。
傷んだ花を一本、また一本と片付けて、空になった花瓶をすべて戸棚にしまった頃、おふたりを看取りました。
先日の休み、マイナンバーカードを保険証と給付金の受け取りの銀行(残高ほぼなし(¨;))と紐づけしてきました。
自分でやろうとトライ、でも、どうも上手くいかない。市の出先の相談センターに行ってやってもらいました。たったの5分。それでポイントが貰えるのでお得な気分です。
何か給付金が無いかなあ。サクッと貰えたら自慢するのになあ(^^)。