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食べるということ


食べる。

これは何も口から食べるだけの行為ではありません。目でも鼻でも、耳でも、楽しめると思います。口に入れて舌の味蕾みらいだけで楽しむ人もいます。

その女性は胃瘻いろうでした。一時期、胃瘻いろうを作ることがまるでブームみたいになったようで、以前に勤めていた病院にも、高齢者施設から胃瘻いろうを作る目的でたくさんの利用者がやって来ました。

個人的には、口から食べられなくなっても、本人に食べたいという気持ち、お腹が張ったという満足感を体感覚的に感じたいのなら、胃瘻いろうを作ることもいいと思います。

でも、もしも、家族のエゴや都合によって、自分で判断も選択もできない人が胃瘻いろうを作るのは否定的なわたしです。

食事の時間になったらギャッジアップされ、お腹にあいた孔からドロっとしたモノが流し込まれていく。誰も喋らない大部屋、静かに栄養が補給されていく。

生きていたら、生きていけるだけの栄養物や水分を与えるのは当たり前の義務だし、やらなければ犯罪だろう。

命に対する尊厳は感じる。でも、その人間に対する尊厳はどうなんだろう。

☆☆☆

緩和ケア病棟にも胃瘻の人が来る。高齢者の施設にいたときに作った人が大半だ。無言で胃瘻いろうから栄養物を流し込むスタッフに寒気がした。間違った手技ではないが、無機質。

さっそく胃瘻いろうの勉強会を行った。食事の前に口腔内、顔面のマッサージをやってから、「○○さん、ご飯ですよ~」と声かけをすることにしました。

「えーーー!」と反発を受けましたが、無視です。唾液がたっぷりと出て、身も心も食事モードになるようマッサージをしましょう!と叱咤激励しました。

本人はどう思っているか分かりません。案外「痛いちや」と思っていたかしら。なにせ、口のなかもマッサージをしましたもの。

でも家族は喜んでくれましたし、スタッフも慣れてくると楽しそうでした。

その胃瘻いろうの女性がやってきたのは、ちょうど病棟スタッフの意識が変わった頃でした。

彼女は胃瘻いろうはあるけれど、口から食べたいという本人の希望がありました。座位も取れましたし、しっかり嚥下えんげ、ゴックンもできそうでした。

医師、理学療法士、放射線技師、管理栄養士それに看護師など多職種がチームとなって、彼女の食事について話し合いました。

食べたい!という気持ちはあります。でも、実際に食べてもらうとほとんど溢してしまいます。そこで、胃瘻いろうと口からの栄養補給との合わせ技としました。

ボロボロと溢すけれど、胃瘻いろうからも栄養物が入ったので彼女は満腹感を感じていました。お腹がいっぱいになると、彼女の乏しかった表情も変化していきました。

☆☆☆

緩和ケア病棟では、いろんな食事方法を試していました。

ある人は、ただモグモグと咀嚼そしゃく、舌の味蕾みらいで味わうだけ味わって吐き出してもらいます。癌のために飲み込むと弊害があるからです。

飲み込めないなら食べる意味がない?という人もいました。もったいないという人まで。
でも、本当に?彼らは喜んでモグモグしてはペッと吐き出し、味蕾みらいの能力をおおいに引き出していました。

ある人は自分は食べれなくても、家族が美味しそうに食べる姿を見たがりました。たまにお呼ばれすると弁当を持参し、食事に交ぜてもらったもんです。

「おきゃく文化」の高知県らしく、ご馳走が毎度用意されていました。

食べる、その行為は、食べる本人にも、見ている人たちにも、生きる喜びや活力を与えてくれます。

人間には優れた五感と想像力があります。
どんな方法でだって食べることを楽しめるんです。


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