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やっぱり差し向かいは楽しい

精神を病んだみたいな色彩の絵ですが、未だ健全なつもりです。

昔はこんな燃えるような夕焼けが見えたのですが、最近は色が薄くなりました。

夕焼けも地球も馬力が失くなったようです。で、燃えるような夕焼けを描いてみました。


「葉桜や緑の色の勢ぞろい」


久しぶりに対面で一時間近くも人と話をしました。もちろんマスクは着けているし、距離だって取っています。

それでも、久しぶりに前のめりになって話をしました。この2年ちょっと、無意識に仰け反る習慣がついていたので背中の丸みも久しぶりでした。

元々、あんまり飲み会も好きではなく、どちらかというと差しで飲むのが好きです。土佐という議論好きな土地柄、差しで、深く話し込むのが好みです。

ところが今回の感染症ですっかりおとなしくなりました。黙です。

それがつい先日、時間の経つのも忘れて話し込んでしまいました。人の顔の表情の変化をまじまじ見ながら話すのは久しぶりで、衰えていた感性や共感の神経細胞が数ミリ伸びた気がしました。

くだらない話をするのは時間の無駄と思っていますが、でも、この無駄と無駄の狭間にはお宝が落っこちていることがあります。

賢い人は宝探しが上手な人で、塵と勘違いをして蹴飛ばす人もいれば、「ん?」と摘まみ上げて観察する人もいるのでしょう。

若気の至りのおかげで、宝物か塵か判らないもので好奇心という名のわたしのポケットはパンパンでした。

暇ができるとそっと摘まみだしては使い途を考える。そうやって人生の暇潰しをやってきました。

でも、そろそろポケットの中身も底をついてきました。好奇心も疼き始めました。また、無駄なことがやりたくなりました。

なんて目の前を飛ぶ糠蛾を追い払いながら、無駄口だって糠蛾だって、小うるさいけれど無いと困る存在かもしれないなあと、一人で納得しています。

「無駄口は叩いてなんぼ糠蛾ぬかが舞う」


「梅雨空や不快指数のピピピピピー」