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拘束


病棟勤めをしていたとき、何が嫌だったかと言って患者さんを拘束するのが普通になっているスタッフの顔を見ることでした。

嬉々として拘束衣を着せる看護師や看護助手たちの表情が気持ち悪くて、「何するの!」と思わず怒鳴ったこともあります。

身体抑制することで患者さんを守る、そんな大義名分のもと、抑制帯でベッドに縛りつけたり、車椅子に縛りつけたり、勝手にファスナーを下ろしてしまわないように拘束衣を前後反対に着せたりと、よくそんな方法を思いつくもんやと感心したくらいでした。

もちろん、点滴を抜いたり、ベッドから転落したりと危険な行動を取ってしまっては困ります。起き上がったり、ベッドから足を下ろしたりすると、ナースコールと連動して作動する装置もあります。

「これ、なに?」

患者さんの手の届かないところに付けられた転倒虫てんとうむしという、何とも笑えないネーミングの装置を病棟では使っていました。

天道虫に模した装置は見た目は可愛いけど、患者さんの行動を情け容赦なく制限していきました。

病棟はいつも人員不足で、ずっとその一人に付き添うわけにもいきません。悲しいかな、どうしても機器の活用が必要になります。

ただそこに人として寄り添う気持ち、相手に対する思いやりがないと、単なる拘束、身体抑制になります。

元校長先生だった彼は、一徹なところがありました。その一徹さが愉しいのですが、一部スタッフにとっては扱いにくい患者でした。

ある日、夜勤に行くと、興奮気味で達成感に溢れたスタッフたちがワイワイやってます。

「何かあったん?」

病衣をすぐに脱いでしまう困った患者というレッテルを貼り付けて、一徹な元校長先生に拘束衣を着せたというのです。

しかも、勝手に脱がないように、ご丁寧にも前後ろを反対にして着せていました。

間違って服を前後ろ反対に着たことがあるでしょうか。わたしは何度かありますが、どれほど窮屈で惨めだったことか。

急いで彼の部屋に行くと、大きな声で泣いていました。80歳のいい大人の男性が、まるで子どものように泣いていたのです。

緩和ケア病棟は他の病棟よりも人員が豊富に配置されています。それでも、こんな有り様でした。

表面化していないだけで、あちこちで拘束は行われているでしょう。安心・安全を守るという大義名分のもとに。

もちろん、拘束は身体的なものだけではありません。精神的、心理的や拘束もあります。言葉による拘束なんて日常的に行われているやもしれません。

障害者施設で起こった凄惨な殺傷事件。利用される方の想いを大切にした取り組みを模索していますと、取材に応じたスタッフの方が答えていました。

配膳された食事を前にして、どれから食べたいかと尋ねていました。病棟でよく見られるのですが、ご飯もおかずもぐっちゃぐちゃに混ぜて、ゴンゴンと口に放り込むスタッフがいます。

「せっかくの食事の時間、楽しい時間にしましょう~」

病棟でそんな取り組みをしたことを思い出しました。

好きなものは最後まで残しておいて、最後にじっくり味わうわたし。これって、わがままでしょうか。ささやかな楽しみ、個性も潰されちゃうのでしょうか。

当たり前って? 他人事になると、当たり前が当たり前でなくなるんですね。

拘束衣を脱げないように着せられていた彼はわたしの受け持ちでした。本人と家族に謝罪して、即、問題提起して、拘束衣はどの患者にも着せないことにしました。

ただ、それは緩和ケア病棟だから可能だったのかもしれません。それでも、拘束衣を使用せずに安全・安楽に過ごして頂くためにも、こまめに訪室する。どうしても危険なときは転倒虫を装着するなど、やれることはいくらでもあります。

拘束を解除することで多くの患者さんは精神的な安定感を得ました。中には統合失調症や脳血管疾患の後遺症、認知症などで意志疎通困難なケースもあり、「本当にごめん!」と謝りながら転倒虫を襟元にちょこん。

拘束、抑制をしないことで、患者さんだけでなく、看護スタッフの表情まで柔らかくなりました。


空澄そらすめば父母が帰ってくるような」


夕焼けは夏の季語だそうです。いつも夕方になると赤々となる空ですが、昔は夏の夕焼け空が見事だったので季語の地位を獲得したのかしら。

今みたいにクーラーもない時代、やっと暑い一日が終わる夕方はさぞ心地よかったことでしょう。

昼間の熱い空気を夕焼けが夜のとばりの向こうへ連れていってくれるみたいです。