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春の灯

どうやら五七五と絵をやり始めて、少しは「わたしが」の「我」が減ってきたみたいで嬉しく思う今日この頃です。

自己主張がない人よりは、きちんと自己主張できる人が好きですが、何でも度が過ぎるとウザいものです。

より良いものにしたい!という思いが強いと言われたことがあります。そうかな?そんなつもりは無くて、楽する、手抜きするために改善する傾向はあります。

でも、あまり自己主張していると顔に主張が張り付きそうなので、ゆるゆる生きたいもんです。


春の灯や昔の面影偲ばせる

(はるのひや むかしのおもかげ しのばせる)

季語は「春の灯」です。

春の灯というと、ぼんやりと照らしてくれる気がします。

少しくらいシミが増えていても、皺の深さが増していても、春の灯がぼんやりと誤魔化してくれそうです。

ただ、最近は美白化粧品のお陰か、前よりもシミが減った気がします。春ではなく、ギンギラギンの夏の灯でも、直視に堪えうる肌となりつつあります。

それでも、春の優しい灯は、昔の面影を浮き上がらせてくれるようで、少し若返った気がします。

でも、昔の超自己主張する面影は、春の灯で和らげたいものです。


同窓会揃いもそろい斑雪かな

(どうそうかい そろいもそろい はだれかな)

季語は「斑雪」です。

わたしは、同窓会に一回しか参加したことがありません。それも就職したばかりの22歳の頃でした。

地元の同級生はほぼ結婚しており、自ずと、子どもの育児や夫の不人情、義理の両親への愚痴ばかり聞かされました。

女子校卒のわたし、当時は、県外に出る人も珍しく、県外で就職するのは更に珍しい時代でした。

まあ、田舎なので、腰掛け程度に就職して、寿退社が当たり前の古き良き時代でした。

時代の流れに乗り損ねたわたしは、同窓会で浮いていました。今から思えば、家族と共に変化する彼女たちと、一人で生きていこう!と足掻いていたわたしの、歩み寄りの努力が足りなかった気がします。

でも、毎年、律儀というか、喜んで同窓会に参加している同僚もいます。もちろん、今は感染のためになく、残念そうです。

もう70歳はとうに過ぎている彼女、同級生の頭が薄くなっていてびっくりした!と話していましたが、「あんたもやき!」と心の中で教えてやりました。


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老舗喫茶店です。看板のみ付け替えました。愛知県と喫茶店の多さを競う我が県、モーニングの種類も豊富です。

モーニングと称して、昼過ぎまで注文が出来たりもします。

でも、老舗の味のある喫茶店が閉店していきます。愚かな政策の副作用は、まだまだ続きそうです。