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いも天食べつつ

そういえば、最近、いも天を食べてないなあと思いつつ描いた絵です。とは言え、描いて既に10日近くが経過しました。

いも天を絵を描いている間も、描いてからも世界は変わってきています。それもわたしの想像を越えた、良くない方向に。

それでも、わたしは自分の決めたとおりに、宿泊療養施設の仕事に行くし、ワクチン接種支援に行きます。自分の役割を果たすのみ。

だから、月に数回の休みは心身を休める為に使いたい。もちろん、仕事をしていたって、自分の時間はあります。

夜勤に行く前、夜勤明けには絵を描いたり、五七五を捻り出したりして、気持ちが整ってくる心地よさを感じています。

不穏な世界情勢に心は痛むし、自分に出来ることはやりたい。でも、今の生活を捨てて、行動を起こすのではなく、自分らしく日々を丁寧に暮らしていきたいと思います。

今日は10日ぶりの休み。

花粉が飛んでいるので戸外に出られないし、屋内の密は避けたいし、早咲きの桜が咲いてないかしら。

やはりドライブ&ランチだな。


日曜市いも天甘し油風

(にちよういち いもてんあまし あぶらかぜ)

季語は「油風」です。油風とは晩春四月頃、晴天の日に吹くおだやかな南風のことです。

油風なんて聞くとギトギトの風のイメージですが、なんともおだやかな南風のようです。

そんな風に乗って、美味しい、甘いいも天の香りがしてきたら、食べるしかないですね。

ここのいも天は衣が甘くて、サクサクして、熱々を食べると最高です。

少女と紙風船


萎えし手で紙風船をポンとつき

(なえしてで かみふうせんを ぽんとつき)

季語は「紙風船」です。

首を折って、左半身が麻痺して、お箸程度の軽いものも持てなくなったことがあります。

ずっと痺れたみたいで感覚がボケてしまい、硬いのか柔らかいのか、冷たいか温かいかも分からない。

それでもリハビリを続けることで、紙風船のシワの寄ったザラリとした感覚や、わずかな重みが分かるようになりました。

「紙風船」の季語は、暖かくなって子供らが戸外に出て、紙風船をついて遊ぶような春のほのぼのとした光景です。

すこし意味が違うかもしれませんが、自分のからだを、自分の意思でコントロールできたときの嬉しさは忘れられません。

ところで、よく高齢者施設で紙風船を使ったレクリエーションをやっています。

意固地なわたしは、意地でも紙風船を叩いて余生を送りたくないと思っています。何歳になっても、どこか受け身ではなく、能動的に生きたいという気持ちがある、前向きな還暦です。


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こんなおっちゃんが揚げてます

日曜日や木曜市で大人気の「いも天」です。なぜか自分で買ったことはなくて、頂き物が多いです。

ケチなのではなく、人徳です。たぶん。

そういえば、雛祭りは夜勤でした。生活支援班の男性スタッフが、苺がいっぱい飾られた雛祭りケーキをくれました。

日勤看護師が帰ってからもってきてくれたのだが、下心があったのかしら?でも、それはわたし?それとも相方の看護師かしら。