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善意でも、お節介はお節介


初秋や猫もわたしもにじり寄り


どうでもいいことです。さらりと読み流してください。

苦手なことに、体型に合わない洋服を着て、さも自信ありげに振る舞っている人と一緒にいることがあります。

そんな時、ほとんどの人が「えっ、似合ってますよ」と共感できるのですが、どうしても「こっちの方がええんちゃう」と本音、本当のことを言わないと気がすまない自分がむくむく頭をもたげてきます。

より良い人間関係を保つには社交辞令は必須ですし、ほとんどの人が巧く使いこなしています。

「適当にそうそう」と言っておけばいい、と年配者から助言されたこともあります。わざわざ反感を買うような助言をしても得なことなんて何も無いし、共感しておけばその場が丸く収まるというのです。

丸く収まる気もしますが、居心地が悪くて、何だか気持ち悪いと感じるのは、何故?

その年配者が平気で社交辞令が言えるのは、何故?

誰だって、不協和音の甚だしい、居心地悪い環境に居たくありません。少しでも居心地のいい、快適な場所にいたいものです。

その年配者は今の状況をよしとして、口出しすることで更に居心地を悪くするより、今の現状を維持することを選んでいます。

それも1つの手です。口出しすることで更に居心地が悪くなるかもしれません。しかし、善くなる可能性もありますし、こちらに賭けたい気持ちが強いようです。

ここで大切なのは、相手を思いやった助言、口出しのやり方でしょう。

決して似合わないパンツを履いている貴女を馬鹿にしている訳ではないってこと、貴女に似合うパンツや着こなしがあるはずなので、善意のお節介(のつもり)の言葉に耳を傾けてみませんか。

そのパツパツのパンツはあかんって!なんて口が裂けてもいいません。



義母ははまねて稲穂いなほ干す腕まだ細し」