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母からの贈り物

先月、弟の誕生日だった。そんなに密な関係ではないので、誕生日だからといって、プレゼントを送りあったりしない。

ただ、弟と母は13日生まれで、わたしと父は1日生まれ。互いに生まれた時から、どちら側につくかを決めていたようだ。

母とは不仲だったので、彼女の誕生日を祝うことはなかった。職場の同僚にもらったプレゼントを、これ見よがしにテーブルに置いていた母。

それを見て、来月の今日は弟の番が来る、と思う程度だった。弟の誕生日ケーキを買ってくる母と、仕方なく付き合って、黙りこんでケーキを食べる家族。

誕生日とかクリスマス、そんなもので家族をヨレヨレの絆で繋ぎ止めようとする母。早く時間が過ぎないかなあ~、と思ったもんだ。

そんなわたしの心を読んで、嫌みを言ってはつねる母には、恨みや不満、憎悪しかなく、彼女から受けた心の傷は癒えることはなく、何度も剥がして固くなった痂みたいだった。

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もし、母がくも膜下出血なんかにならずに、普通に年を取って、介護が必要になったら、わたしは介護虐待をしただろう。

母のおむつを換えながら、過去、自分が母にされたみたいに、お尻や大腿部の外から見えない、柔らかい部分をつねっただろう。

でも、母は病院という安全地帯に入り、そこから出ることはなかった。

なんて得手勝手な奴や。憎たらしい母の顔を見下ろしては、手が出せない歯痒さに身悶えした。

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でも、今になって思えば、あれは母の最後の娘への思いやりだったのか、と思う。もし、介護虐待をしていたら、わたしは母が死んだあとも、ずっと母を憎み、後悔し、苦しまないといけない。

でも、8年近くも死なずに生きていた母は、もしかしたら、明確な意思(遺志)を持って、情けない娘の心が癒えるまで、生きるを選択したのかもしれない。

わからない。でも、もし介護虐待をしたら、自分の指が、手が、心が虐待の感覚を覚えていたに違いない。

わたしの指や手が覚えているのは、父の手をとって散歩をしたり、父の足浴をしながら、足を擦っていたあのやさしい感覚だ。

過去からの復讐をしなくてすんで、わたしは本当に幸運だった。


イラストは、hondashizumaruさんのものです。母のことをnoteに時々書くけれど、母に対する認知の変化がある。すでに亡くなった母、今さら態度を改めることもできないし、母の存在の意義や価値を変えるのは、生きているわたしだ、と思うと、責任を感じる😚