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今日のだいたい2時 10月後半

10月21日(木)

湧き水をくんでいる。
息子と2人で水筒にじゃぶじゃぶ水を入れていると、見知らぬ人が水をくみに来た。「こんにちは」と、どちらともなくあいさつする。ここへ来ると、多分見知らぬ人同士だろうなという人たちがあいさつ交わし合っている様子をよくよく見かける。そういうさりげない人と人の交流が生まれるのは、湧いている水のそばにいるおかげだな。たぶん。

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10月22日(金)

山の写真を撮った。
うわぁと声が漏れるほど綺麗だった。ふだんからそこにある山だから今さら写真に収めなくてもねぇ、なんて思わない。今日見て感動した風景は、明日にはまったく違って見えるんだからね。

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10月23日(土)

餃子を50個包みおわった。
今夜食べる分はよけて、残りは全部冷凍する。これは「何も作る気が起きないんだけどおいしくて元気が湧いてくるものが食べたい」というときに活躍してくれます。そのまま焼いてもいいし、揚げてもいいし、水餃子にしてもいい。野菜も豆製品もわかめも切らしているときの、朝ごはんのお味噌汁の具にもなる。これはとても喜ばれます。

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10月24日(日)

息子が近所の知らないお兄ちゃんとサッカーボールで遊んでいる。
お兄ちゃんの、ボールの方が足に吸い寄せられているような美しいリフティングやシュートに感化されたのか、片足でボールを蹴りながら「ポーン」とか「イエーイ」とか言う息子。楽しそうだな。お兄ちゃんの後ろをキャッキャと笑いながらついて走る息子を見ていたら、ちょっとしんみりしてくる。こうやってどんどん大きくなってゆくんだね。

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10月25日(月)

家の前にあるポストが、郵便局から頼まれて来たという札幌の業者さんによって新しい真っ赤なペンキで塗装されていく。
雨風や太陽の光でポスト本体は朱色にこすけていたけれど、それはそれで風情があってよかった。塗りあげられたポストを見にいくと、思いの外キラキラはりきっていた。

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10月26日(火)

りんごをむいている。
まな板と包丁を洗った後、8等分にしたはずのりんごが6つになっていた。おかしい、さっきまでちゃんと8つあったのに。そう思っていたら、薪ストーブの方からシャクシャク音が聞こえてきた。息子が、仲良しの犬のぬいぐるみと一緒に一つずつ食べていました。

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10月27日(水)

近所のおばあちゃんからパクチーとかまぼこをいただく。
「ガスコンロの火がつかなくて困っていたのをりゅうま君に助けてもらってね」と。なすときゅうりなんかは一緒にもらう可能性がこれからもありそうだけど、パクチーとかまぼこは一生ないかもしれない。そんな奇跡の組み合わせにほくほく。どちらも麺料理に合うな。パクチーはフォーに入れて、かまぼこはうどんに浮かべようか。

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10月28日(木)

単調な作業をするので音楽をかけた。
ネットで音楽を探して聴くと、あなたにおすすめと言ってもれなく好きそうなアーティストや関連動画を知らされる。そういうのはできればCD屋さんとか日常の意図的ではない場面に出会えたらなぁと思っているけれど、思いがけずそのおすすめ機能のおかげでYeYeという音楽家の「うんざりですよ」という曲と出会った。いい歌詞だ。


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10月29日(金)

おそいお昼ごはんにチャーハンを作った。
具は、にんじんのしっぽと長ねぎの青いところを刻んで炒めて、そこにツナ缶と煮ておいた豆を入れた。味付けは味噌で。お皿に丸く盛り、細く切ったミョウガとたっぷりのパクチーを乗せる。見た目でなんとなく格好がつくものの、和洋中どれにもカテゴライズされない家庭の味でした。

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10月30日(土)

10年で顔つきは変わる。
人一人の10年で起こることは、簡単には想像できないし理解もきっとできない。誰かとおしゃべりすれば愉快にもなるし、傷つきもする。転んで血が出たら痛いけど、「痛いよね」と絆創膏をくれる人に救われることもある。当時かけていたメガネが全然似合わなくなった夫を見て、10年後のわたしたちは、どんな顔して笑うんだろうと思った。

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10月31日(日)

道の駅にいる。
ソフトクリームの置きものが入口の横にあって、それを見つけた息子はそそくさと駆け寄り、舌をペロリと出しながら最高の笑顔である。その歳で北海道のソフトクリームのうまさを知ってしまったのか。辛いよーとか酸っぱいよーなどという子どもだましは、もう彼には通用しない。

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