見出し画像

真夏の恋、もしくは茶色い煮物

ラジオを流しながら通勤先まで車でひた走る時期があった。四方を農家と山に囲まれた基線なので見通しがよく、田畑と山と、空と雲だけの景色。車の前をひらひら横切る蝶。運転席の窓から助手席の窓へ飛びぬける蜂。最高に気持ちが良かった。

「あれ、いい曲だなこれ」という音楽は、そういうとき不意に流れてくる。最初は、ただそう思って聴いている。しばらく聴いていると「このアーティストは誰だろう」と気になってくる。わたしは「紙とペンは果たして車内にあっただろうか」と思う。そうこうしているうちに、ラジオDJの口からさらさらと出てくるアーティスト名と曲のタイトル。そういうときに限って、海外のアーティストでよくわからないカタカナのタイトルなのだ。覚えられるはずもなく、わたしは後方を確認してから急いで路肩に車を停める。ダッシュボードの中をゴソゴソとかき回し、2・3センチくらいの鉛筆と、くしゃくしゃになったガソリンスタンドのレシートを急いで取り出す。レシートを裏返してゴシゴシ伸ばし、窓ガラスを机がわりにして、耳にわずかに残っているDJの声を書きつける。

家に帰ってからパソコンで音源を探し、見つけた時には有頂天である。やった。ついにわたしのとっておきが見つかった。そんな気持ちでヘッドホンを耳にあて、再生ボタンを押す。これが不思議なもので、わたしの心はしゅんと小さくしぼんでいく。なぜって、昼間に感じたあの感動がもうどこにもないからだ。これはカーラジオの魔術だ。どこかへ向かう途中の、あの泡のような時間に聴くから、わたしの人生の時間も一緒に輝き、その背景に流れていた曲に一目惚れしてしまう。その後も“知人”としてたまに聴く曲も中にはあるが、大抵は一度きりの関係。まるで真夏の恋。儚くて、終わりが来るとわかっている。その発光力と磁力は凄まじく、だから心が引き寄せられるのかもしれない。

これを打ちながら聴いている曲は、百景の「Standing Still in a Moving scene」というアルバムだが、これはネットサーフィン中にたまたま知ったものだ。特別な、何か運命めいたものは感じていない。ただ、聴くたびに、食卓の茶色い煮物みたいな、気のおけない存在になっていく。細くても長く続く関係は、きっとこんな出会い方なんだろう。

そんなことを思う日曜日の夜な夜なでした。

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?