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「大谷翔平がホームランダービーに出る」←これのヤバさを伝えさせてほしい

正直なところ、感覚が麻痺していたんだと思う。
今年に入って、朝のニュース番組ではその活躍が報道される場面が増え、「どこまでやってくれるんだろう?」という驚きは「彼ならそれくらいやってくれるはずだ」という確信に変わりつつあった。
だから、先日の報道も特段驚きはなかった。けれども、冷静に考えてみると、こいつはやっぱりエポックメイキングな一大事なのだ。

飛び込んできたニュース

ロサンゼルス・エンゼルスに所属する大谷翔平が7月12日(現地)に、コロラド州デンバーで行われるホームランダービーへの出場を正式に表明した。
同大会への日本人の出場は史上初。アジア人としても2005年のチェ・ヒソプに続く2人目の出場だ。

2021年6月20日現在、大谷は66試合に出場しており、22本塁打はメジャーリーグ全体でも2位。長打率.643は全体3位、OPS.998は5位の好成績を叩き出している。
オールスターゲームのファン投票においても、指名打者部門で現時点で2位の選手に大差をつけての1位。
身内のひいき目を差し引いたとしても、今や人気・実力ともにメジャーでも屈指の強打者に成長しつつある。
今回の選出も、もはや疑問の余地はない。

スラッガーの饗宴・ホームランダービー

メジャーリーグにおけるホームランダービー(ホームラン競争)は、オールスターの前夜祭として1985年に初めて開催された。
アメリカ球界におけるオールスターゲームは各球場持ち回りで開催されるため、開催地にとっては数十年に一度の大イベントだ。当然、開催期間中は街はお祭り騒ぎ。リーグ屈指の強打者たちが真剣勝負を繰り広げるホームランダービーは、その中でもひときわ目を引く一大アトラクションとなった。
1993年にESPNによって初めてその様子がテレビで放送されると、たちまち全国区での人気イベントになった。最も多くの視聴者を集めた2008年大会は約910万人、前回の2019年大会でも約620万人が視聴するなど、野球離れが叫ばれる中でも依然として高い人気を博している。


ホームランダービーでは、参加者は原則として翌日に行われるオールスターゲームの出場選手の中から選ばれる。
つまり、ホームランダービーに出るためには、まずオールスターゲームへの参加資格を得なければいけないのだ。

選手がオールスターゲームに出場する方法は、基本的には2つ。
ひとつは、ファン投票において、どこかのポジションで得票数1位を獲得すること。(野手のみ)
もうひとつは、選手を含む球団関係者による投票と、監督の推薦によって選出されること。

どちらにせよ、ファンもしくは関係者から「こいつはオールスターに出場するに足る選手だ」と認識されなければならない。
人気・実力を兼ね備えて初めて、立つことが許される舞台なのだ。

さらに、その中でホームランダービーに出場できるのは、ひときわ際立った長打力の持ち主に限られる。
並外れたパワーの持ち主だらけのMLB選手の中でも、限られた人しか参加することが許されない。それだけでも、いかに難しいことかわかるだろう。

日本人野手を阻んできた、メジャーリーグの壁

始めにも述べたように、ホームランダービーに出場する日本人は大谷が初めてとなる。
けれど、(当然ではあるが)メジャーでプレーした日本人は大谷が初めてではない。
それまでにも数多くの選手が海を渡り、世界最高峰の野球リーグに挑んでいった。

こと野手に限って言えば、NPB出身の選手がメジャーリーグでプレーしたのはイチローが最初になる。彼が米球界に与えた衝撃、打ち立てた数々の大記録に関しては、いまさら語るまでもないだろう。
イチローは、試合では低い打球を放ち安打数を稼ぐことに徹した。一方で「(打率).220でよければ年40本は打てる」と発言したり、打撃練習では柵越えを連発したりするなど、長打を打てる可能性をたびたび示唆してきた。
実際、最終的に辞退こそしたものの2008年にはホームランダービーへの出場がほぼ確実視といえるくらいまで話が進んでいたし、選手としては半引退状態だった2018年にも出場のオファーがあったという。

イチローをはじめ松井稼頭央や青木宣親など、メジャー挑戦がある程度「成功した」といえる選手は、その多くがスピードや確実性に優れた、いわゆる「スモール・ベースボール」に特化した選手である。
その唯一といっていい例外が、2003年からニューヨーク・ヤンキースでプレーした松井秀喜だ。
2004年に日本人のMLBにおけるシーズン本塁打記録である31本塁打を放ち、同年を含む5つのシーズンで20本塁打以上を記録した。
キャリアハイを記録した2004年には、当時のヤンキース監督ジョー・トーリからホームランダービーへの出場を打診されたが、「自分が参加したら失礼」と、参加を辞退している。

その松井と日本時代には何度もタイトルを争い、渡米時には日本最強打者のひとりに数えられた福留孝介は、2010年に放った13本塁打が最多で、お世辞にも強打者とは言えない成績のまま日本球界へと戻っていった。
2006年にも井口資仁と城島健司がそれぞれ18本塁打を記録したが、ホームランダービーの候補にさえ名が挙がることはなかった。

結論から言えば、MLBで日本人選手が、ましてやホームランダービーに出場できるような強打者として活躍していくのは、極めて難しい。

その要因は一つではないだろう。筋肉量の違い、より速く、芯で捉えづらい球を投げる投手、広い球場、異言語によるコミュニケーション、異国の地で暮らすストレス...
日本で何年も圧倒的な成績を残した選手が、想像を絶する努力といくつもの幸運に恵まれた末に、ようやく通用できるかどうか。

それが、メジャーリーグのレベルなのだ。

令和の新たなスター像・大谷翔平

大谷翔平は1994年7月5日、社会人野球の選手だった父とバドミントン選手の母のもとで、岩手県水沢市(現在の奥州市)に生まれた。

幼いころから抜群の身体能力を誇り、小学校3年生から始めた野球では6年生の時に120㎞/hの速球を投げるなど、すでにその才能の片鱗を覗かせていた。野球のほかにもバドミントンや水泳にも取り組み、水泳では大会で優勝するほどの実力だったという。

高校では同郷のスター菊池雄星に憧れ、彼の出身校である花巻東高校に進学。「身体づくりを優先させる」という監督の方針により、1年秋までは投手としての出場はなかった。
高校3年時に出場した春の選抜高校野球大会では初戦で藤浪晋太郎擁する大阪桐蔭高校と対戦、夏の岩手県大会ではアマチュア野球選手史上初の160㎞/hを記録するなど、日本のみならず海外からも注目を集めた。

高校野球引退後、大谷はMLBへの挑戦を表明。そうして迎えた2012年のプロ野球ドラフト会議、北海道日本ハムファイターズが1巡目で大谷を指名し、交渉権を獲得した。
大谷は当初指名を拒否したが、球団側の4度にわたる入団交渉や、「夢への道しるべ」と題したプレゼン資料を用いた説得を受けた末、2012年12月9日に日本ハムへの入団を表明。

プロ入り後はベーブ・ルース以来の「10勝・10本塁打の達成」や、2016年の「投手・野手両方でのベストナイン獲得」、「日本人史上最速の165㎞/hの記録」といった異次元の記録を次々と達成。それらを履歴書代わりに、2017年オフにポスティング・システムを用いてロサンゼルス・エンゼルスに入団した。

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大谷翔平は、これまでのどんなスポーツ選手とも違う。

謙虚で礼儀正しく、俗っぽい欲望はこれっぽちも持ち合わせていない。
その一方で自分が取り組むべき物事に対しては、とてつもない野心を隠し持っている。過程と結果に対して、決して妥協しない。
自ら定めた目標を細かに分析し、淡々と努力を重ねる。
自分を客観視し、現状と目標とのズレを正しく把握する。
リアリスティックで、プラグマティックで、ストラテジックなアスリート。
それが大谷翔平だ。

上の図は、大谷が高校1年生の時に作成したとされる目標シートだ。
16歳の少年が、自らのビジョンを極めて具体的に定めている。
一見無謀とさえ思える目標に対して、何をすべきなのか理解できている。

だとすれば、イチローや松井が活躍した2000年代にタイムスリップしても誰も信じないような、今の大谷の活躍も必然とはいえないだろうか。

当然、ここまでこれたのは運の要素も大きかっただろう。
花巻東高校の佐々木洋監督は大谷を高校野球の範疇に収まる選手ではないと判断し、将来を見据えた育成プランを提供した。
高校時代に全国大会で投げる機会が多くなかったことで、結果として投げすぎによる肘や肩の酷使を抑えることになった。
紆余曲折を経て入団した日本ハムでは、その自由闊達な風土と日本球界の恵まれた環境に助けられ、持てるポテンシャルを最大限延ばすことが出来た。
メジャーへの移籍先に選んだエンゼルスは、守備に就く必要のない指名打者での出場が可能であり、投手陣があまり整っておらず大谷にもチャンスが巡ってきやすい環境だった。

いくつもの幸運に恵まれたからこそ、今の活躍がある。けれどもそれは、大谷自身が考え出したビジョンとミッションに従った結果手にした選択であり、彼の努力と戦略によって引き寄せた幸運ともいえるのではないか。


「高校を卒業したらメジャーに行く」
「プロの世界で二刀流を目指す」
そう豪語した彼は、かつてビックマウスだと嘲り嗤われた。

「そんなの無理だ」「現実を見ろ」ファンはくちぐちに言った。
プロのOBですら、無謀な挑戦だと彼を諫めた者が少なくなかった。
けれども大谷は、そんな言葉には耳を貸さず圧倒的な努力を重ね、気がついた頃には誰も想像すらしていなかったような偉業を成し遂げた。
夢物語を、現実にしてしまった。

そんな人物を、人はスーパースターと呼ぶ。

今の時代は、かつてないほどに不安定な時代だといわれる。
終生安泰だと謳われた企業が倒産し、高齢者世代の負担が財政を逼迫する。
子どもの数は増えず、働き手の減少は目に見えてる。
異常気象は年々増え、疫病さえも跋扈する。

VUCAの時代に求められるのは、豪放磊落な昭和のスターでも、スカして飄々とした平成のスターでもない。
自ら目標を定め、やるべきこととやらないことを決め、淡々と実行し、ついには誰も予想すらしなった大偉業を成し遂げる。
大谷翔平は、まぎれもなく新時代のスーパースターだ。

最後に

ああ、ずいぶん話がずれてしまった。

ここまであえて言ってなかったが、ホームランダービーに出場する選手の中で、先発して勝利投手になった人物は大谷が初めてらしい。
これまでに同じことをやった人は、世界に1人もいないのだと。

もはや、彼は「日本の大谷翔平」ではない。”Shohei Ohtani Superstar” だ。

ホームランダービーにまつわるジンクスとして、優勝者はシーズン後半に調子を落とすというものがある。
始まる前から優勝した後のことを考えるのはいささか早計だが、彼ならこんなジンクスも軽々乗り越えるんじゃないかなんて想像してしまう。

あとこれは余談だが、今回の開催地であるデンバーのクアーズ・フィールドは標高1600mとメジャーの球場で最も高い位置にあり、気圧の関係で打球が「とてもよく飛ぶ」ことで有名だ。
その辺も楽しみにしていただきたい。

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