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稀人マルシェ【星付きレストランでも使われるカンボジア産の無農薬栽培コショウ】

12月18、19日に開催する稀人マルシェに登場する稀人をご紹介!

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【星付きレストランでも使われているカンボジア産の無農薬栽培コショウ】

稀人マルシェに参加してくれた稀人をご紹介シリーズ!
今日は、クラタペッパー!

クラタペッパー5

クラタペッパーの倉田浩伸さんと妻の由紀さん

みんな知ってる?
1970年に内戦が起きる前、カンボジアのコショウは「世界一美味しい」と評価されていたんだ。でも、1990年まで続いた内戦によってその生産は壊滅的な打撃を受け、戦火を逃れたコッコン州のごく一部の地域だけで細々と栽培されていた。

どれだけ細々かというと、コショウの木が300だけ。内戦前に国の特産品だったのに、ほんとに絶滅寸前に陥っていたわけ。この超稀少なコショウを発見したのは、日本人だった。そう、クラタペッパーの倉田さんだ。

学生時代にNGOのボランティアとして内戦直後のカンボジアで復興活動に携わっていた倉田さんは、大学卒業後、そのNGOで学校建設に従事していた。でも、「学校をいくら作っても産業が発展しない限り、カンボジアの復興はない」とNGOを退職。カンボジアの肥沃な大地に目をつけ、「人間が生きていく限り絶対になくならない」と農業に目を付けた。

クラタペッパー1

クラタペッパーの自社農園の木になるコショウの実

でも、倉田さんは農業の専門家ではないから、ドリアンやココナッツを日本向けに輸出しようとしては失敗を重ねていた。そんな時にヒントをくれたのは、内戦前のカンボジアで農業指導に携わっていた大叔父。病床にあった大叔父は「かつて、カンボジアには世界一と評されたクオリティの高い胡椒があった」と倉田さんに伝え、現地から持ち帰った「国立統計局・経済研究所」という古い資料を託した。

その資料はコショウについても記されていて、そこに産地が書かれていた。倉田さんはその資料を頼りに産地を訪れ、人々に尋ね歩いているうちに、300本のコショウの木をひとりで守っていた老人にたどりつくことができたのだ。

倉田さんは「一緒にこれを作ろう!」と老人に持ち掛け、日本で借りた開業資金をつぎ込んで自社農園を立ち上げて、無農薬、有機栽培でこのコショウを作り始めた。それが1990年代の後半のこと。当初は日本に輸出しようとしたもののなかなかうまくいかず、一時はほかの仕事をしながら稼いだお金をコショウにまわしていたこともある。

クラタペッパー2

カンボジア土産としてヒットしたクラタペッパー。ロゴやデザインは妻の由紀さんが手掛けた。

でも、カンボジアに来た外国人旅行客向けのお土産に切り替え、妻・由紀さんのアイデアでデザインを一新したところ、大ヒット!カンボジア土産として飛ぶように売れ始めて、自社農園は4ヘクタールに拡大。さらに近隣の農家も胡椒の栽培を始め、自社分と合わせて年間6トン仕入れられるようになった。

倉田さんの取り組みは広く知られ、ほかの地域でもコショウの生産が始まって、いま再び、コショウはカンボジアの特産品になっている。倉田さんは、カンボジアの「世界一美味しいコショウ」を復活させた男なのだ。

日本では星付きレストランでも採用されているクラタペッパーのコショウ。丁寧に摘まれたコショウの粒の香りをかけば、その違いがわかると思う。ガリガリッと削った小さな結晶をペロリとなめるだけで、カンボジアの太陽に照らされたコショウの木が脳裏に浮かんでくるんだ。

稀人マルシェでは、木になってから真っ赤に完熟するまで育てた「赤い宝石」と称される激レアの完熟コショウも仕入れております。

クラタペッパー3

コショウなんてどれも一緒でしょと思っている人がいたら、こう伝えたい。あなたは本当のコショウを知らない!と。

倉田さんの奮闘については『農業フロンティア 越境するネクストファーマーズ』を読んでね!

稀人マルシェ 12月18、19日@ギャラリー山小屋/恵比寿 13時~18時

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