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枯死する大樹 ~ジョニー・キャッシュの American Recordings

 ジョニー・キャッシュ晩年の American Recordings のシリーズは、まるで迫りくる死に対する勝ち目のない抗いのようだ。1994年のかれが62歳のときから、2003年に71歳で亡くなるまでに5枚のアルバムが録音された。その間、糖尿病と関連する自律神経失調症や、重度の肺炎などを患った。かつてわたしは聖書に馴染んでいたとき、イエスはきっとジョニー・キャッシュのような声をしていたに違いないと信じた。堂々とそびえ立つ大樹のようだったかれの歌はここでは、あえかな悲鳴のような悲哀、贖罪、救済の叫びに満ちている。声はひび割れ、悲しみは皿から溢れ出そうだ。それらの歌はほんとうにすべて虚しい抵抗だったのだろうか? 死の恐怖に怯え、降伏の白旗をあげたのだろうか? 空いっぱいに広がった緑の葉は、ただはらはらと塵芥のように散っていったのだろうか? 死はゆるぎない最後の勝利者なのか? わたしは、ちがうとおもう。もともと、生きることはあらがいなのだ。うまれてきたことが、あらがいだった。死はそのあらがいをはかる尺度にすぎない。癌細胞の原因が生きることであったように、死にあらがうことがよく生きることだった。ジョニー・キャッシュのこれらの歌は、深い森のなかで枯死する大樹のようだ。倒れたかれの肉体に無数のキノコが生え、森はあらたな養分を得る。個はあらがい、森を生かす。イエスはきっとジョニー・キャッシュのような声をしていたに違いない。


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