ある幼稚園児が考えた「母を表すもの」とは


 今でもあの時の疎外感というか、理解してもらえなかった感覚を覚えている。僕が幼稚園児だった頃、だいたい20年くらい前の話になる。ちょうど5月くらいだった。母の日が近いこともあり、「おかあさんへの絵のプレゼントをつくる」という課題が出ていた。小さいペンライトのようなものに絵を書いて母に渡す、というものだ。
「おかあさんへのプレゼントだから、おかあさんの似顔絵だったり、おかあさんの好きな物でもなんでも書いてね」
 幼稚園の先生はそんなようなことを言っていた。しかし、僕はその時、何を書けばいいのか分からなかった。
周りを見渡す。似顔絵を書く子、食べ物(お母さんの好きな食べ物だろうか)を書く子。ヒントになりそうなものはない。絵を書くのは好きじゃなかったし、母の好きな食べ物も知らない。うちの母はなんでも食べる。
 筆が進まず、しばらくフリーズ。そして、5歳くらいだった僕が書いたもの。


3ケタ数字とアルファベット1文字。

数字は忘れたがアルファベットは「R」だった気がする。偶然だが、母の名前のイニシャルだったから変に記憶に残っている。

先生の合図のあと、みんな出来上がったものを見せる。僕も見せる。

なにそれー

何で絵じゃないの?

おかしい

 堂々と記された文字に降り注ぐひんしゅくの嵐。すごく悲しかったことを覚えている。自分の作ったものが否定されたことは勿論、母親まで否定されているような気持ちになった。
 そのやりとりを見ていた先生はおそらく困惑していただろう。みんなが絵を描く中で、1人だけ数字とアルファベットを書く子がいる。おそらく想定していなかったはずだ。
「ええと、文字じゃなくて、絵を描こうね…」
こういうようなことを困惑されながら、言われた。身の回りの唯一の大人である幼稚園の先生にまで言われてしまった。今思えば、かなり戸惑っていたのだろう。おそらくあの時の先生は今の僕と同じか少し下くらいの年齢。でかでかと文字を書く子どもへの対処法なんて知らないはずだ。しかし、この時の僕は認められないことへの悲しさや、周りが絵を描いているなか、自分だけ文字という孤独感が何より勝っていた。同じ教室にいながら、異様なまでの疎外感に襲われたのを今でも覚えている。
 その言葉に乗るように周りの子たちがさらにからかってきた。

なんで絵を描かないの?

つくりなおしたら?

失敗したの?


 子どもというのは容赦ない。酷評が次々に飛んでくる。終いには、先生にまで、「これ、渡すの?」とまで言われたほどだった。
 「作り直す?他の組から余りがあるかな…?」
 息子から送られたプレゼントに謎の文字が書いてあったら…。先生は母のことを心配したのだろう。しかし、僕にとって、この文字の羅列は正真正銘、母を表すものだった。結局他の組に余りは無く、これを渡すことになった。

 そして、母の日が来た。みんなそれぞれ作ったものを母親に渡す。この文字のこと、母親ならわかってくれるだろう。そんな期待を抱きながら、僕は作ったものを渡した。

「なに、これ…」

母もまた、他の子や先生と同じようなリアクションだった。
「服…」
親にもわかってもらえなかった。僕は、より一層大きくなった疎外感に潰されながらそう答えることしか出来なかった。
 その日、家に帰ると今日のことをもう一度聞かれた。
「あれ、あの文字は何?」
答えたくなかったが、母は気になることはとことん聞いてくる性格。相手が5歳児であろうと、しつこく聞いてくる。
「服。長袖の。青とオレンジの!」
母はそれ以上は何も聞いてこなかった。
 しばらくすると、母は僕に服を一枚持ってきた。
「これのこと?」
母が持ってきたのは青とオレンジのトレーナー。そこに記された文字。


僕はそこに書いてある文字を書いていたのだ。


 母がよく着ていた服。洒落っ気のない服だが、その時の母を表していた服。そこに書いてある文字もまた、当時の僕にとって「母を表しているもの」だった。
 ブワッと涙が溢れた。母は苦笑いをしながら、「やっとわかった」とだけ言った。周りからブーイングを受けたこと、先生を困らせたこと、そしてそれによって味わった疎外感全てが涙と共に流れていったような気がした。
 後日、母はそのトレーナーを来て幼稚園に来た。偶然を装いつつ、わざわざ先生に会いに行ったのだ。
 後年の母曰く、そのトレーナーを見て先生はハッとしたという。先生は「そういうことだったんですね」と一言言ったという。
「目の付け所というか…」
母はそう言って誰の気分も害さないように振る舞ったのだそうだ。

 その服は今はもうない。あったとしても今の母にはサイズが小さいだろう。それでもあの独特な色づかいのトレーナーを今も忘れることはできない。

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