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男性名詞・女性名詞でメゲた - 言い訳にもならない

大学で第二外国語で取ったか、それか仕事か何か別の目的か、いずれにしてもフランス語をちょっと齧ってみて全く身に付かなかったという人は日本には山といるわけですね。その大半の人が「あの、英語とちがって男性名詞・女性名詞というのがあるでしょ。あれがもう訳わからなくて・・・」という『言い訳』をしますよね。

去年イギリスが離脱した後、欧州共同体 (EU) には 23 の公用語があります。そのうち男性名詞・女性名詞の区別のない言語はフィンランド語、ハンガリー語、エストニア語の実にたったの3言語だけです。(だからといって、フィンランド語やハンガリー語を履修しようなどと思うとえらい目に遭いますよ!)

つまりあとの 20 言語にはすべて性 (grammatical gender といいます) の区別があるのです。それどころか、ドイツ語やスラブ系の言語には中性名詞まであるので、男・女・中性 (あくまでも文法上のことであり自然の性には関係ありません) の3種類を区別する必要があるのです。ちなみにスウェーデン語やノルウェー語では両性/中性という2つの区別をします (これも自然の性には関係ありません)。

ヨーロッパでは、英語のように男性名詞・女性名詞の区別のない言語の方がむしろ例外的なのです。

ヨーロッパの言語だけではありません。たとえばアラビア語にも男性名詞・女性名詞の区別があります。七面倒臭いことにアラビア語では単数と複数もまったく違う形で、そこにこれといった規則性さえありません。英語やフランス語みたいに –s を付けるだけでは済まされないのです。

たとえば、ナイフという言葉は1本なら sikkīna ですが、3本以上だと sakākīn となります。1人の教授なら ustādh ですが、3人以上の教授だと asātidha というような具合に。

つまり1つの単語を覚える時にはかならず単数と複数の両方を覚えなければならない。要するに2倍の記憶領域を要するのです。

さらに男性名詞か女性名詞かどちらを修飾するかで、そして単数なのか複数なのかによって形容詞の形もまったくもって違う場合があります。

例えば「新しい」は単数の男性名詞と使うときは jadīd ですが、複数の男性名詞と使うときには judad に変わります。なので、「新しい教授」が一人の場合は ustādh jadīd でいいのですが、複数の教授の場合は asātidha judad と、まったく予想もつかない形になります。

たとえば男性名詞につける「白い」という形容詞は abyad なのですが、女性名詞に付ける「白い」は baidā’ 、複数だと bīdという具合に。それを思うとスペイン語の blanco と blanca など朝飯前ですね。

アラビア語には「家」を意味する言葉には bayt と dār と主に2つが使われます。面倒くさいことに bayt は男性名詞なのですが、dār は女性名詞なのです!理由は何もありません。

したがって「白い家」というとき (アラビア語では形容詞を後置するので「家・白い」となるのですが) "bayt abyad" と "dār baydā’" と互いに想像もつかないような 2 つの結果が存在します。

同じ「白い家」でもこれだけ異なるのですが、これにアラビア語の定冠詞 (the) al をつけて、al-bayt al-’abyad というとザ・白い家、すなわち White House を意味します。
もう一つの方にやはり定冠詞 al を付けて al-dār al-baydā’ というとなんと Casa Blanca を意味します。あの映画でも有名なモロッコの大都市のことです。

あと「白い」の複数形 bīd から派生して出来た言葉が bayd なのですが、これは「玉子」を意味します。玉子は白いからです。なんかこじつけ的ですが。

bayd は1個の玉子なのですが、2個になると baydān となります。しかしこの baydān と言う言葉をエジプトで言ってしまうと、これすなわち玉子が2つ、つまり玉が2つで自動的に「おきゃんたま」を意味してしまいます。

♪baydān mudaldella ‘amalani mushkela 

留学時、カイロ大学のキャンパスで、不良男子学生たちに最初に受けた洗礼が「たまたまが 垂れてしまってぶーらぶら!あら困ったなぁさあ困ったなぁ」的な歌を訳もわからぬままに覚えさせられて、意味もわからず女子大生の前で歌わされて大恥をかかされた思い出があります。

昨夜、宮崎のお土産で「たまたま」という金柑をいただいたので、そんな話を思い出しました。

で、結論なのですが、男性名詞・女性名詞の区別が面倒で語学を挫折したというのは、本当にどうしようもない『言い訳』で、そんなところで挫けるぐらいなら最初からやらない方がマシなのです。むしろそれを楽しむぐらいの気持ちでいけばいいと思います。

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