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鴨川デルタものがたり(短編)下

ふと人気を感じて目が覚めた。人気というより人の吐息を感じた。
僕の低い鼻のすぐ前にはあざといような人懐っこいような切れ長の目があり、「これは現実ではない、ひとときの夢だよ」と語り掛けてくるようだった。

それが数秒だったのか、ほんのコンマ何秒だったのか、視線のぶつかり合いに負けた僕が少し目を伏せたとき、少しひやっとする唇が斜め45度に交差して押し当てられた。

そんなことは別に人生で初めてのことではなかったので、慌てることも抗うこともなかったが、ただいつもと違うのは、スープのせいなのか、その唇の感触が甘美過ぎて、一部を残して身体中の力が抜けてしまうようだった。打ち寄せる波に揉まれる木片のように僕はなされるがままに翻弄され、挙句に光でも闇でもない場所に堕ちてしまうのだろうか。

椅子からずり落ちてしまった僕の視線に映るのはもう木目が一定のパターンで交差するレストランの床だけであった。そんなときになぜ床の模様に法則を見出そうとしているのか、そうやって快楽と理性に境目を見出そうとしてるのか、人間の脳のつくりは奥深い。

が、そのとき、僕は床の木目が明らかにずれている箇所を見つけてしまってわれに返り、硬い床の上で下着をずらされそうになっている自分の姿に気づいて慌てて体を起こした。そのとき椅子が倒れて大きな音がした。

僕はジーンズのジッパーを閉めるのに難儀しながら、
「あ、あの、始発、があるので、帰ります。ご、ごちそうさまでした。」と単語を並べた。
「え、帰るの?そんなにテント張ってるのに?」
「あ、はい、でも帰ります。大丈夫です。ごちそうさまです。また来ます。いや、また来ないかも知れないけど、また来ます。あれ・・・」
「そうなん。じゃ、大人になったら、また食べに来て。彼女でも連れてね。」
意外にあっさりと僕は見送られた。

4年が経ち、まさか彼女にその場所に連れられてくるとは。
それが互いに別を道を歩むふたりの最後のランチだったが、途中から僕は気もそぞろで床の木目のパターンがずれている箇所をなぜか探しているのだった。

ランチのプレートも食べ終わっているのに、「あ・・・、あのスープも食べたかった。」と追加注文してしまった僕を訝しがる彼女をよそに、レジの向こう側から投げかけられる視線にどう応えようかとばかりを考えている自分に驚いた。

レジで会計を終えたとき、店の人がなにか僕に話し掛けようとしたが、彼女があたかもそれを遮るような大声で「ごちそうさまでした。」と言ったので、僕はその人の猩々のような切れ長の目をほんの1秒ほど見て軽く会釈をして店を出た。

「ねえ、あの店に来たことあるんやろ?」
「ううん、初めてやったよ。」
「ふーん、誰と来たんやろ。なんかスープを懐かしそうに飲んでたし。」
「なんでやねん。おなか空いとったし、スープすきやねん。」

出町柳のバス停に向かう途中、彼女はいろんな映画の話をしていたが僕の心は上の空で、出町で彼女とバイバイしたら、さっきの店に戻ってみようかなと、いろいろと時間を計算していた。

しかし、途中、高野川を渡る橋で、石の欄干から生えてきているド根性松を見つけて彼女が立ち止まってああでもないこうでもないと長々としゃべり出したのでもうヒグラシも鳴きやむような時間になってしまい、お店は夜の営業が始まって忙しくなってしまうだろうと諦め、出町柳で三条京阪行きのバスに乗った。

あれから四半世紀のときが経ち、私の人生も黄昏時を迎えている。それでも京都という、水琴屈のように時を刻むのが遅い空間は、一部を除いて昔とあまり変わらない。変わるのは私を含めその場所になにがしか関わった人間だけである。それが京都という街の美しさであり、はかなさであり、恐ろしさであり、熱さであり、涼しさである。

床の木目もスープの味も、おそらく店の人も、何ひとつ変わらないその店で、いつか一緒にランチをした人がこの世を去った今も、私は何食わぬ顔をして食事をしている。

思い出はかすかな記憶となり、記憶は霞のように薄れていき、心の中にわずかな澱だけを残す。

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