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ウクライナ戦争の背景(ポーランド記事和訳)

※この文章はトマシュ・ピェハル(ポーランド国放送ドキュメンタリー局編集長、東欧、特にウクライナ専門のジャーナリスト)がポーランド人向けに今回のウクライナ戦争の背景を説明するためFacebookに投稿したものの和訳です。意訳、説明の補足を含みます。
翻訳:Marcin Tatarczuk (マルチン タタルチュック)
日本語校正:岡田真輝

トマシュ・ピェハル 東方の荒書き (Tomasz Piechal – Szkice Wschodnie)

ロシアの侵略が始まって以来、多くの人が、「なぜ?プーチンはなぜウクライナを攻撃したのか?プーチンは狂ってしまったのか?なぜ彼はこの戦争を必要としているのか?」という疑問を持っている。その答えは、しばしばロシア大統領やその側近、ロシア国民の心境に向けられている。帝国への追憶、報復主義、地政学などが語られることが多い。しかし、これはあくまでも一面でしかない。これらの考察のほとんどで、ウクライナは単にオブジェとして、つまりロシアの侵略、帝国主義、拡張、地政学的ゲーム、憎悪の「対象」として扱われているに過ぎない。一方、この野蛮な侵略のきっかけとなったのは、ウクライナが近年ますます強力な「主体」、受動的な被害者ではなく、旧ソ連のロシアに代わる能動的な存在になってきたことでもある。以下の文章はウクライナのその「主体」化について述べる。

ウクライナ的なオルタナティヴ

初めに、2021年8月24日の記憶について述べようと思う。ウクライナ全土では、独立30周年記念の祝賀が行われていた。最も重要な祝賀行事は、キエフの独立広場とウクライナの象徴的なフレシチャーティク通りで開催された。軍事パレードを除けば、プログラムのハイライトは、キエフ大公国の時代から現代までのウクライナの歴史を描いた12分間のショーだった。主人公は、ウクライナの音楽番組に出場した11歳の少女イェセーニヤ・セレズノヴァ。彼女はその日、おそらく彼女の人生で最も重要な役であろう、擬人化したウクライナそのものを演じた。ショーのフィナーレでは、イェセーニャが国の歴史を旅した後、誰もいない広い通りに出て、ゆっくりと加速しながら兵士に向かって走り、巨大なウクライナの旗の下を走った後、ドンバス出身のヴォロディミル・フェドチェンコ中佐の腕の中に飛び込む。これは、ウクライナの自由への努力と、ウクライナ自身で歩む道を探ること、そしてそのために戦う人々への敬意を示すことを意図しており、非常に象徴的で感動的なシーンとなった。この光景を見た人の多くが、涙を隠せなかった。その中には、ヴォロディミル・ゼレンスキー大統領も含まれており、彼は名誉の観覧席に立ちながら涙をこらえるのがやっとであった。ウクライナでの美しく、感動的で、晴れやかで、幸せな一日だった。

ロシアの次なる侵略行為が始まるのは、そのちょうど184日後である。

戦争まであと6カ月。

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その祝賀は異例なほど、ウクライナ全体で格別に盛大に行われた。それは、独立後の30年間で、ウクライナが国家としてのアイデンティティと統一性の構築において目覚しい飛躍を遂げることができたという思いが広まった結果であった。その変化の過程は、ポーランドではまったく知られていない「花崗岩の上の革命」(1990年の学生デモ)から、2004年のオレンジ革命、2013年の尊厳の革命へと続くこれらの革命と、クリミア併合に始まるロシアとの戦争、そしてドンバスでの主導的な分離主義の勃発によって特徴づけられてきた。

ほとんどのポーランド人にとって、いや、それだけでなく、世界のほとんどの人にとって、ウクライナはこの30年間、関心の対象から現れたり消えたりしている。注目を集め、心を動かし、そして影を潜めた。その結果、多くの人々は、ウクライナで起きている極めて重要なプロセス、すなわちクレムリンにとってますます苛立ちと危険性を増加させる進歩を見逃すことになった。以下は、その一覧である。

1. ウクライナの政治的国家の構築
長年にわたり、ウクライナは価値観の共同体としての意識を強めてきた。19世紀、多くの人々にとって「ポーランド人になる」ことが一種のマニフェストであり、自由と独立の道の魅力的な選択であり、「ロシアの秩序」に対する反対の表明であったように、21世紀初頭、旧ソ連の一部の人々にとって「ウクライナ人になる」選択は、「ポストソ連」の状態を離れ、内面のホモソビエティクス(Homo Sovieticus)を殺すチャンスであることを意味していた。「尊厳の革命」が、アフガニスタン出身のジャーナリスト、ムスタファ・ナジェムのFBへの投稿から始まったことと、「尊厳の革命」の最初の犠牲者が、アルメニア出身の20歳のセルヒー・ニホジャンだったことは偶然ではない。ウクライナでは、ソ連から受け継いだ社会の中に、多くの人々が、ポーランド、ロシア、アルメニア、グルジア、タタールなどのルーツを持ち、混ざり合っている。彼らは、ウクライナは自由な国であり、「ロシア的な平和」に対抗して、より良いヨーロッパの未来のために戦うという考えで結ばれていたのである。2013年以降、ベラルーシやカザフスタンなど多くの国からウクライナへ旅立つことを決意し、この「新しい、素晴らしい」国家建設に積極的に関わるようになった人たちと、私自身たくさん出会ってきた。ウクライナ・ナショナリズムはロシアとの戦争の時代にあって主に「反ロシア主義」の手段となっている。このナショナリズムへの執着(反ロシアを標榜するものは皆そこから逃れることはできない)は、(ポロシェンコ政権下で)広がり、(ゼレンスキー政権下において)受容され、ナショナリズムと言いながらこうした多民族を内包し、一民族主義的でないことは問題視さえされていない。

2.「西洋文明」という選択
「尊厳の革命」がユーロマイダンとして勃発したことは記憶に新しい。きっかけは、ヴィクトル・ヤヌコヴィッチ氏がEUとの連合協定を破棄したことだった。多くの人にとって、この「ヨーロッパ的なるもの」は十分に説明されず、理解されず、より良い世界に対するある種の理想主義的なビジョンだったにもかかわらず、確かなことは、ロシアとの密接な関係より魅力的だということである。とりわけ、民主主義、自由、法の尊重、財産、生活を公正に秩序立てるためのルールシステムといった価値観の選択であった。つまり、その性質上、ロシアの構造とは対照的なものである。こうして2013年以降、ウクライナではEU加盟支持者が49%から86%に増加した。

3.二つのウクライナの末路
現在でも、私が人々とかわす会話の中には、この一文に集約されるテーマが多く現れる。"結局のところ、ウクライナは2つの異なる国であり、西と東、ヨーロッパやアメリカを好むものもいれば、ロシアを好むものもいる "と。政治的な選択、国際協力の方向性、文化的な選択(観る映画、聴く音楽、使う言葉)などに、その二分は長年にわたって鋭く現れている。しかし、この8年間で、こうした旧来の区分はますます払拭されつつある。このことは、まずペトロ・ポロシェンコの当選によって示された。彼は、ウクライナ西部と東部(彼らは、とりわけ親ロシア派の地域政党が形成した政府におけるポロシェンコの存在を連想していた)の両方の人々が彼に投票したために当選した。2014年以降、ウクライナ全地域から支持され選出されるという可能性が、それまでの二極化に代わって選挙勝利の根拠となった。2019年、クルィヴィーイ・リーフ(ウクライナ南部の都市)出身で選挙戦開始までロシア語話者だった(選挙闘争中に事実上ウクライナ語を習得)ヴォロディミル・ゼレンスキーが大統領になったのは、このウクライナ全体の意識変化の結果であったと言える。彼は旧ソ連邦全域のスターであり、数々のラブコメに出演し、吹き替えに声を提供し、慣習的に言えば、ブレストからウラジオストクまで視聴される作品(特に「スワティ」というシリーズのプロデューサーであった)も作ったことを覚えておくとよいだろう。彼は、ウクライナの多様性と曖昧さをすべて兼ね備えた(あるいは少なくともそうしようとした)大統領になった。これが、クレムリンやモスクワにとって、彼を不快に感じる要因なのだろう。ゼレンスキーは、ウクライナをロシアから切り離すために、より効果的な共同体づくりの方法を選んだからだ。

4.モスクワからの独立
この10年で、ウクライナとロシアの間の多くの「架け橋」が徹底的に壊された。この点では、経済(経済協力の方向性に一定の見直しが行われた)よりも文化の分野が重要視されたことが大きい。ウクライナでは、ウクライナ語と文化の振興を重視し(クレムリンのプロパガンダの主張とは逆に、ロシア語を使うことで迫害された者はいなかった。ドンバスでの戦争は、ロシア語を話すウクライナの愛国者になることも可能だということを多くのウクライナ人に示した)、ロシアのポップカルチャーやソーシャルメディアの世界からは実質的に手を引いた(ロシアの団体と共同制作をしない、プーチン支持派のロシアのアーティストには入国禁止、ロシアのVKontakteをやめFacebookへの移行など)。しかし、最も重要であり、モスクワにとって痛手となったのは、ウクライナ正教会の独立行為であった。それは、モスクワ総主教座からしてみれば何百万人ものウクライナ人の「魂」が奪取されることを意味した。祭壇(ロシア正教会)と王位(ロシア政府)の同盟が長年続き、「第三のローマ」構想が帝国思想の基本的な構成要素の一つであるロシアにとって、これは格別に痛い行為であった。

5.「危険」な思想
ロシアにとって、危険であり苦痛すら感じるのは、ウクライナがロシア・ベラルーシとは異なる方法で国家を建設することが可能であることを証明し始めたことである。老齢で権威主義的で真面目な祖父母に代わり、ゼレンスキーが登場したのだ。彼は「国民の奉仕者」として選挙に勝ち、直接的に、国のデジタル化を含む近代化に力を注いだ。このデジタル化は、ディヤというプラットフォームから生まれ、そのおかげで毎月多くの公務が携帯電話のアプリケーションから処理できるようになった。もちろん、ゼレンスキーには失策も多く、厳しい批判を浴びることもあり、その職責の全てが透明性のあるものではなかったが、これは別の文章に譲ることにしよう。最も重視すべきは、ウクライナが問題を抱えながらも、汚職や内部問題に悩まされながらも、EUの機構に属さないポストソビエトの国でありながらも、成功と進歩が可能であることを示し始めたことである。このことが旧ソ連全体にとっていかに重要であるかは、2015年にキエフで参加したサマースクールで示された。 私のグループには、ベラルーシ、モルドバ、グルジア、アゼルバイジャン、アルメニア、キルギスタン、カザフスタンの活動家たちが参加していた。ウクライナで何がうまくいき、何がうまくいかなかったのか、どの改正がうまくいき、どの改正が失敗したのか、皆熱心に耳を傾けていた。この地域の多くの民主化支持者にとって、ウクライナは一種の模範であり、より良い明日への希望となっている。

ここ数年、ウクライナで起きている極めて複雑なプロセスを5つのパラグラフで説明するという、破天荒な試みをしていることは自覚している。とはいえ、表面的なこと、重要な物事が多く欠けていることは十分承知しているが、その中でも肝要な点は何とか伝えられたのではないかと思う。

ウクライナは、現在でも多くの場所で、物事の「対象」として記述されている(勇敢な人々や兵士についての補足を含む)が、年を追うごとに、より能動的な「主体」になっている。つまり、「なぜこの戦争が起こったのか」という問いに対する答えは、年老いた支配者の狂気、帝国主義的な思想、報復主義によるものだけではないのだ。モスクワが、ウクライナの存在が脅威になりつつあると感じていたことも、侵略を決断した背景にあった。クレムリンは、これらウクライナが行ってきた脱ソ連の過程について、馬鹿なことだと哀れみ、怒り、そして「何を考えているんだ、結局、お前たちと我々は同類じゃないか」という精神で見ていたのだろう。確かに、ウクライナはソ連に起因するすべての病と重荷を取り除けたわけではなく、多くの問題は解決されていないままだ。しかし、単にロシアと道を違えたことだけでも、破壊し、血を流すという決断をさせるには十分だった...ロシアはもう我慢できなかった。

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最後に問いを立てよう。2022年3月15日 ロシアによるウクライナへの侵略から20日目。これまでの合算は、何千人もの死者、廃墟と化した都市、クレムリンが放った血と残虐行為の海である。あの美しく、感動的で、晴れやかで、楽しい8月24日は、なんと遠い記憶なのか...やっと半年が過ぎたばかりなのに、まるで数十年が過ぎたかのようだ。キエフの記念式典の映像をもう一度見ているのだが、疑問から逃れられない。ウクライナ大統領でさえ涙したパフォーマンスの主役たちは、どうなったのか?

なんとか調べることができた。

パレードを率いるヴォロディミル・フェドチェンコ中佐は、ウクライナの首都をめぐる戦闘の中心となった都市イルピンに家族とともに長年住んでいる。夏にウクライナ軍での兵役を終えたものの、ここ数日は首都近郊での戦闘に参加し、戦闘地域から市民を避難させる手伝いもしている。彼の妻もウクライナ軍に所属しており、爆撃を受けた都市から人々を避難させ、他のウクライナの都市で住む場所を見つけるための調整をしている。

ウクライナそのものを演じた少女イェセーニャは、戦争開始のまさにその日、2月24日に家族とともにキエフを離れ、今は安全な場所にいる。8月24日の出演以来、彼女のキャリアは加速し、いくつかのアニメの吹き替えに声を提供することになった。しかし、ロシア軍の侵攻により計画は頓挫。今、イェセーニャは、何百万人ものウクライナ人と同じように、戦争の終結を待っている。彼女のお母さんは、8月の暖かい日のことを思い出しながら、まだ感動と誇りを抑えきれない様子で話してくれた。イェセーニャにとって、それは人生で最も美しい日だったという。彼女の母は、私たちの会話の最後にこう言った。「このような素晴らしい日やイベントがまたきっと多く訪れることを、私たちと、ウクライナ全体が信じています」。

私もそう確信している。

3月15日(火)20:00


ウクライナ独立30周年記念式典パフォーマンス
「ウクライナの誕生日」

https://www.youtube.com/watch?v=WiZDik18hnc


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