駄菓子屋「ぐりーんハウス」のこと vol.1

noteを書き始めて5回目の投稿になりましたが、これまできちんと駄菓子屋「ぐりーんハウス」のことを書いていなかったので改めましての意味をこめて。

駄菓子屋「ぐりーんハウス」とは?

東京都町田市内に昨年まで存在していた駄菓子屋さんの名称。
その歴史は長く1968年に開業し51年間営業されてきましたが、経営的な理由から昨年惜しまれつつ閉店。(2010年に先代が一度は店を畳むものの、2012年に地域の有志である前オーナーが店を引き継ぎ再開する)駄菓子のみならず、プラモデルやぬいぐるみをはじめとしたオモチャ類から、メダルゲームやガチャガチャのようなゲーム機までが揃う、言わば子供にとっては夢のデパートといったような存在だった。
お店の場所も少し変わっていて、町田駅からバスで20分ほど離れた山崎団地という郊外型マンモス団地に隣接する商店街の一角に立地し、近年ではシャッターが下りたままの店舗が目立つ中で、多くの子供たちで賑わう光景がとても印象的なお店だった。町田経済新聞2019年9月24日の記事より 
さらに、かつてはモヤモヤさまぁ〜ずの町田回で放送されたこともあり、町田市民には広く愛された馴染みの深いお店でもありました。

わたしと「ぐりーんハウス」のこと

僕は町田市の生まれで山崎団地に小学校2年生まで住んでいました。
もちろんぐりーんハウスにも足繁く通い、初めて自分のお小遣いでオモチャを買ったのも、メンコやビー玉といった懐かしい遊びを教わったのもこのお店でした。
お店の叔母さんもとても優しく接してくれて、友達の誕生日近くになると500円玉くらいのお金を握りしめ、地域の子供たちが列をなしてプレゼントを買うというのが定番な光景だったのをとても懐かしく覚えています。
高学年くらいにもなると、ミニ四駆パーツ、プロ野球カード、BB戦士、カードダスなど、今思えばここで買うものが当時の流行りや遊びにそのまま直結しているものばかりで、僕たちのような子供にとっては買い物という行為を通じて社会との接点を作ってくれるような貴重なお店でした。

なぜ僕が「ぐりーんハウス」を引き継ぐことになったのか

お店が閉店することを知ったのはこちらの記事でした。
記事を読んだ時には「あぁ。やめちゃうんだ〜」くらいの気持ちでした。正直大人になってからはほとんど行かない場所になっていましたし、個人的にも駄菓子にそこまで魅力を感じることもなかったので、まさか自分が手を挙げるなど微塵も想像していませんでしたが、最終営業日の9月28日になんとなくお店に足を運んでみたのです。
そこで僕はそこに広がっていた思わぬ光景に衝撃を受けてしまいました。
店先は多くの子供たちで賑わい、僕と同じように閉店の知らせを聞きつけて懐かしんでいる同世代くらいの親御さんたちなど、上手く形容し難いのですがそこにはなんとも幸せに満ちた世界が広がっていたのです。
そして次の瞬間にこれは絶やしてしまってはならないという感情が心の奥底に芽生えてきてしまったのです。そこから幼少時代の自分を今の景色に重ね合わせたり、本業であるデザインの仕事を重ね合わせたり、商店街の未来のことを考えてみたり・・・あれやこれや思いを巡らせること2〜3時間はその場を過ごしたでしょうか。店番のお母さんに話を聞くと後継者に名乗りを上げている人はまだいないということだったので、僕は前向きに検討する旨をお伝えして、最後の店の姿に後ろ髪を引かれる思いでその場を後にしたのでした。
...vol 2に続く。

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最終日のぐりーんハウスの様子

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