メタ(meta-)についてのアレコレ

メタフィクションが好きだ。

「メタ」という言葉は、あまり定義を意識さずに無意識的に用いられる。例えば、コミュニケーションゲームである人狼においては「メタ」と言えば、ゲームの最中の情報ではなくゲーム外の情報――例えば本人の普段の性格や癖など――を用いて推理することを指し、リアル脱出ゲームをはじめとする謎解きゲームにおいて「メタ」といえば、謎解き以外の要素――たとえば何かのコンテンツとコラボしていたら、コラボ元のキーワードなど――を推測して答えを出すことを指す。

そもそも、「メタ」というものは何だろう。

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メタ(meta-)とは、「高次な-」「超-」「-間の」「-を含んだ」「ーを入れた」「-の後ろの」等の意味の接頭語。ギリシア語から。
また、小説をテーマにした小説や、映画をテーマにした映画などがメタな小説(あるいはメタ小説)、メタな映画などという風に言われることがある。この「小説内小説」「映画内映画」と言った入れ子構造は「小説とは何か、映画とは何か」という、それ自体についての自意識を如実に表している(フィクションがフィクションであることを表している)ことが多く、それぞれ研究の対象となる(メタフィクションを参照)。
このメタフィクションを元にした俗語に「メタい/メタ発言」などがあるが、これは「とある作中人物が自らをその作品の登場人物の一人であることを認識している様、また、それを示唆する発言」を意味する。

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Wikipediaに頼ってみれば、こんなことを言われる。とくにフィクションやエンターテインメントの場で「メタ」を用いる場合は、そのフィクション世界「以外」との関係がメタだ。

となると、似通ったものとして「作中作」「劇中劇」というものがある。同様にWikipediaに頼ってみよう。

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劇中劇(げきちゅうげき、英: Story within a story)は、劇の中に挿入された劇。物語や小説では作中作と称する。劇の中でさらに別の劇が展開する「入れ子構造」によって、ある種の演出効果を生むためによく使われる技法。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/劇中劇

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「私は私が物語の登場人物であることを知っている」

このテーマは、フィクションのテーマとしても、哲学としても、ありとあらゆるフィクションを愛するものを魅了する。フィクションのキャラクターにこのセリフを言わせることで、フィクションのなかのキャラクターはフィクションから<現実世界>へと飛び出す。現実と物語の垣根を歪ませる、メタフィクションの魅力だ。

さて、そんなことを考えるきっかけになったのが、メフィスト賞受賞作「異セカイ系」だ。

雑多な読書欲を持つ人であれば、何も言わずに読めばいい。それでことは足りる。もしタイトルを見て「セカイ系か」とライトノベルに嫌悪感を持つ人、もしくはあらすじを読み「なろう系か」とげんなりした人、少しだけ待ってほしい。

小説投稿サイトでトップ10にランクインしたおれは「死にたい」と思うことで、自分の書いた小説世界に入れることに気がついた。小説通りに悪の黒騎士に愛する姫の母が殺され、大冒険の旅に......♪ってボケェ!! 作者が姫を不幸にし主人公達が救う自己満足。書き直さな! 現実でも異世界でも全員が幸せになる方法を探すんや! あれ、なにこれ。「作者への挑戦状」って......これ、ミステリなん? (文庫裏表紙あらすじ)

わかる。わかるよ。この裏表紙のあらすじを読んで、わたしは本を一度棚に戻した。どこにでも転がっている「なろう系」小説、しかも異世界転生モノに他ならない、メフィスト賞ということはそれにミステリ要素が加わったんだろうと、そう思わされてしまう。確かにこの作品はミステリかもしれない。ミステリに必要な要素は「謎」と「謎の解体(解明)」である。

となれば、「異セカイ系」において解体されるのは「小説」という仕組みであり、「物語る」という行為自体だ。

自分が書いた小説世界に「入る」。そしてその「小説」は「インターネット上の投稿サイトで投稿・連載されている」。言ってしまえば老害読書家である私たちは、小説と言えば紙に印刷されているものだと思っているが、たしかにWeb連載されている物語たちのことを知っている。そして、Webに投稿・連載した(もしくはしようと夢想した)経験があるはずだ。この「物語体験」を経ているならば、わかる。

しかし、「物語る体験」を経ていない人は、きっと私とは違う感想を持つのだろう。

「メタ」の話に戻ろう。異セカイ系はメタフィクションだ。メタミステリだ。それはそうだ。つまりはフィクションを少し超えたところにある、ミステリと少し違う次元にある。だから、実感するためには、フィクションを、ミステリを理解していなければならない。完璧に、はもちろん無理だけれども、作者と同じ世界観を共有出来ていなければならない。

私自身にとって、私が生きている世界は当たり前だ。ただ、思っているほど当たり前は共有されていない。世界にはインターネットが趣味じゃない人も多く、本を読んでも自己啓発本しか読まない人も多い。ただ、多くの日本人は日本語を理解し、日本語を読み、日本という国を知っていて、テレビを見て、和食を知っていて、義務教育を受け、勤労し、納税している。というのに、生きている世界は違う。細分化された世界にぽんと投げられたメッセージは、私たちを簡単に「メタ」の夢にいざなう。

「この本は私のために書かれた物語だ」と、思ったことがある人は多いだろう。「まさに今、出会うべくしてであった本だ」でも構わない。失恋した直後に欲しい言葉を投げかけられたり、主人公の境遇が似ていたり。物語ではなく、歌や絵画でもなんでもそうだ。細かくターゲティングされたかのように、しっくりくることがある。

その時、すでに物語と現実の世界はあやふやだ。

驚くべきことに、私は作り手だ。クリエイターなんて名乗る気は毛頭ないが、物語や世界を作り、紡いできた。Webの知識も多い。だからこんなに面白く読めたんだとわかっている。

この記事は、異セカイ系の感想やオススメ文と見せかけて、可能性を語る記事だ。




登場人物がすでに「あなた」である体験型イベントにおいて、いかにして「メタ」は成り立つか?




この問いを、抱いてしまったのだ。




三月ちゃんをいろんなイベントに出張させることが出来ます。ヤバそうなイベントに自分で行く気はないけど誰かに行ってきてほしいときに使ってください。