Supermarket(1974)

ローランド・クリックは1939年に西ドイツ、ホーフに生まれ、ヘルツォークより三つ、ヴェンダースとファスビンダーより六つ年上。ニュージャーマンシネマ以前のドイツ映画を担う戦後世代、60〜70年代の作家ということになっている。日本では「デッドロック」(1970)という西部劇が一応、見れる。

めちゃくちゃ面白かった。

「スーパーマーケット」は、ハンブルクを舞台にチンピラ同然のウィリーという男が軽犯罪をやっては警察に追い回され、うだつの上がらない日常を送っているところから始まる。彼はチンピラ仲間や、彼に興味を持った中流階級のジャーナリストや、裕福なゲイにあちこち連れまわされるが、本当に心を開けるのは娼婦のモニカだけで、彼女と彼女の幼い息子の幸せを願っている。

自暴自棄な若者、犯罪による破滅、女の裏切り、ストリートの撮影…というのからわかるようにまるっきりヌーベルバーグやニューシネマのような筋書きなのだが、年季の入った石壁にゴミのような標識やステッカーがごちゃごちゃ飾られたドイツの街はフランスやアメリカとは違った、それこそヴェンダースやファスビンダーの先駆けとなるような独特の街の小汚さを持っている。

ごくごく単純にいうと、ゴミだらけの街を走り回るのが痛快だという映画である。カメラの前を被写体が走って追い越していくというショットが頻発するが、カメラがよく動くのに、それ以上に動き回るウィリーや彼が運転する車と絶妙な距離や、リズムを保ち、被写体先行で必ずアクロバティックな動きを保つので、めちゃくちゃカメラワークの運動神経がいい。

それから、瓦礫の映画だ。主役のチンピラウィリーを中流階級のおっさんや、スノッブ趣味のゲイや、廃墟に暮らす先輩チンピラが連れまわすのだが、それぞれ中流階級の日用雑貨と裸の奥さんが歩き回る家、モディリアーニの絵画や高級ブランド品が横たわる家、破れた壁と瓦礫の山が積み上がる廃墟をそれぞれぐちゃぐちゃに散らかしながらウィリーが駆け抜けていく。それは最後にスーパーマーケットでの強盗シーン、忍び込んだ倉庫にぶちまけられる回収ゴミと奪った車のトランクからぶちまけられるスーパーの買い物、そして彼が犯す殺人事件のあとに横たわる死体へと連なっていくのだが、ドイツというのはよりどりみどりの瓦礫の街だなというのが伺える。

「ベルリン天使の詩」より15年ほど前で、ベンヤミンが亡くなったのの約30年後。そういうことを考えながら、瓦礫と天使の映画だと思ってみる。

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