『凡災』②

第5回 ことばと新人賞に応募した落選作「凡災」を一章ずつ掲載しています(2/15)

こしだされた液がはりつめ溜まるときの圧が臓袋に凝して成る信号にくらやみから導かれ引きづり出された身体はふかふかの羽毛から床のつるりに降ろされると、足裏をつたいのぼる冷気の針にまとわりつかれねむ気はずたずたにされ、されつつ這い這いで雪隠に迫る。孤りになることが適うと腰かけた両ふとももに白い陶の座の冷気のとどめは刺さりあがり、声にならぬ叫びが漏れ音もしないのに耳のよくなる気もしたつかのま、やがてどぼどぼと尿【いばり】のぬくいのが身体の管をつたい湯気をあげてでていくとはじめは温いがおわりにぶるつとふるえののぼる背でねむ気とさめ気の勘定が揃う。
どぼどぼのむこうからしゃあああとまだ降るかやんだばかりの雨がたまつたのを夜ふかしくるまがはねて走り四層のたかさとで歩きのない路がつくりだすひろさに響きわたるのが地べたに浅い海のたゆたいを妄想わせる。音に惹かれて張出に面した居間の窓までひきよせられたが、開けて終えば海のないのを見るのは口惜しくてまえの家よりの窓幕にそそつかしい偶者がこぼしたとまと缶のもつ煮をつけたしみをむんずとつかみひきあけず座りこむ。いつもならそのうらにひろがるはずの都宅の列が、混凝土の列のわきに渦まく錆どめのらせん踏階が、三層だてのうえの一六の室外機が、灰色のほろにくるまれた貸家塔のもくろみが、もえたぱん工場のけむりが、とざされた公園に残った蛇口の死骸が、しーつと衣を吊るすぱらぼらあんてなが、七層の壁に描かれた49−4が、くれよんで窓に描かれた子どものぴかちゆうがめるせですべんつがみついすみともがそうかがつかいが今はただ妄想いのなかですべてみな底にしずんだことにした。出口があるとすればこの窓だつた。
室をつつむ雨の冷気が冷たすぎるみなづきであつたかぬくすぎるしわすであつたか記憶がもつれた。ちかごろは住みはじめに路をほりかえして土瀝青を敷きなおす工夫らが奏でたねむりをさまたぐどどどどの響くこともないからまぶたをとじこぶしをゆるめ息をふかめて耳を澄ませても室の音の枠はおとなしい。夜やみであればくるまのしぶきのしゃああああ、すきま風のびゅるるる、となりの鍵のがちやがちや、夜ふかしばいくのうなり、はしりさるくるまのうーはーのどんつどんつ。朝やみであれば工作夫らの鼻唄まじりのしやわー、湯槽のなかみがすてられるどぶん、老父のくしやみ、赤んぼうのわあわあん、白いたいるの廊下をはだしが駆け抜けるぴたぴた、いずれも響きだけのなかで憶測を見た。地潜の放楽室があることは髪の長いの背の低いのふとったのきどつたの、きまったしるしをみなもつわけでないにしろそれぞれしるしと楽器とをもちよる者らのまとまらぬまとまりがなす楽団めくのが荷くるまやみにばんに管弦や響材を持入れするから、初めより知られたもののその楽音が漏れ聞こえることはついぞなかつた。ほかにひと層目には昇降に毒消やふつ素を匂わす歯科やにんじんをすすめる男のうろつくまるしえやよーがの教室がひしめいた。建つて五五年を経たことは、七層のうちの基層にかまえる着飾つた犬がよく屯するはんばーがー屋におかれたこの店何戸にまだでんきの売場があるころを証す白黒写しが報せた。
曙橋と府中とに住みなれてきたそれぞれが室をひとつにそろえるなら新宿までひと駅がよいと中野のしみかけたのや代々木のとけかけたのや新大久保のはぜかけたのをあきらめたすえ、ただ甲州街道のひとつ北、もより駅から歩いて一〇分というしばりで三、四候補をあげつらねた。うち、はじめは五五年という築かずと三ねんでたちのきのしばりのあるここよりも他の候補を優したが、まだそうと知らず日暮れにはここと決める日、はじめてここに踏み入れ歩きまわるやいなや、古さにかかわらず近くつくりかえられたばかりのこの室の清さ、うるわしさに魅せられた。すでに借りんとした先約も、室のとりつけに改めの条件を申し立てていたので、介者は無条件で借りんとする者たちを優してこちらにさきに契りを交わすようにゆすぶりついに室入りまできまつた。
きまつたとき立ち退きのしばりもとりこわしの計画も病のはやりを訳に怠惰に五ねんさきとも六ねんとさきとものばされ憂うほどもないと告げられたが、むしろ先のばされた間だけそれはささやかな呪としてここでのくらしに影をおとした。はじめて室にきた日に見慣れぬものを偵察にのぞいた隣所の子どもが戸のすきまからひたいの半分とおもちやの半分をのぞかせ、住みはじめて六つきして夏の風とおしに半開きにした玄関戸にも忍びこんでおなじ額をのぞかせる。そのうちに親がそれをさがして呼ぶから覚えた子の名も今は忘れた。子らはなぜか一糸まとわなかつた。
偶者と偶者とははじめ、ふたり暮らすこの室を電網にひらくぺらりのない画像に見つけた。名に紐付き霊のゆかりばかりしるした家家の電網をしらべ、ほかのしりぞけられた候補のようにとびおりやくびつりの歴もみあたらなかつた。ちかくに四、五ねんまえの記録影の材となった色女優の旧居が、名あるぎたー弾きの出没報が、ある歌いが名を得るまえに屯した廃屋が区域の噂の霧としてたちこめた。鉄筋混凝土七層の外見と、図面、居間、張出、ながし、風呂、雪隠、押入、襖、鏡台、外窓、呼鈴鏡、温涼房、迎扉、一層商舗。画像は一五枚。どれも身体のない画ゆえにひろさもふるさもわからず、実行ってみないことにはなんともだったがそのいち枚いち枚が今、ふたつの体の験にたたみこまれ記憶にはいめーじの跡が一枚もない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?