「凡災」⑥

第5回 ことばと新人賞に応募した落選作「凡災」を一章ずつ掲載しています(6/15)

 はーきれいなとこやなへもこかれへんわ、と大阪までエル・グレコかどうかもたぶんわからずぎらぎらの展覧会をのしのし見にきたおばはんらが言ったときいた話は聞いただけで見てないからほんとかどうかも知らんけど、こかれへん、の品のなさはどこかも知らん遠くのお寺のありがたいらしい壁と出会うときのいきなりにうろたえあわてるおばはんらのこたえそのものみたいで笑えた。でもほんとはこかれへんのやからおばはんらがこたえるよりむしろこらえることに必死で聞いてすぐはそのつつしみとか苦しみとかが言葉に味いとしてしみているのを今まで知らない。
 家の人と風呂に入るときはシャワーも湯槽もひとつずつやからこっちがごしごしやってからシャワーで流してる間、あっちは湯船で今日なに食べたとかしごとがなんだとか話さんでもいいようなことをつらつら話すようなときいつも裸でいることがもはや恥ずかしくもない柄なのに、かわりばんこに入る湯船の湯のなかで屁をこくのはそれでもはばかられ腹は堪えるうちにはりつめ、はりつめたから屁がたまるのか屁がたまるからはりつめるのかわからずわからないというのもまた苦しく、気圧がひくいとかいつもより寒いとかというのと同じように腹の左がきりきりとしてこころもち胸骨の枠肩の枠があがり首がきゆつと締まり空気の薄くなつた頭で息もできずもうものが考えられない。心のささくれはいつも左腹で感じる。のぼせたと嘘をついて風呂べやをまたぎたおるをまいて居間にもどりうわんうわんうなる冷凍蔵から浄水を出してコップいつぱい腰片手にぐびぐびのむとタオルひろげてひんやり冷たい廊床にべたり横たわる。ゆくり吸つて吐いて吸つて吐いて吐いて吸つて吸つて吐いて吐あああいて勝手に吸い込まれるようにいずれなる息音に耳這わせ頭に栄養を戻そうとするけどまだ戻らないうちにまなうらに小さい光がちらちらと過りそれを暗い空として広がり翼の生えた顔たちが集つて黄色い光がさし穿たれた隙間から光線をかざりにずらずらと舞い降りる白い鳩が、古いタオルみたいにぼろぼろのベールをかぶつて赤で覆われた胸をおさえ見上げる先へねじりつつ舞い上がつてくる肌の青くかがやく女とめぐりあう。それをかこむおお鷲のごとく立派な翼をそなえた女たちがのけぞり、左上の青いのはラッパを、右端のきいろいのはチェロを、その隣の白いのはハープをというぐあいにそれぞれ官器を持ち合わせるから画でありつつどこかやかましい。黒を背にぎらぎらと青や赤や黄がきらめく画は神さまのかかれたそれらしいうるわしさやすがすがしさは少しもなくそれでもむしろどぎつい感じもせずただ一瞬の稲妻のきらめきに見えたまばたきの幻みたいで止まるものがふるえる。足元にまとわない赤ん坊が犬ころみたくひろがって見あげた女を囲み、さらに下にカラスのように黒い羽なのか、その影なのか生やした最後の羽の生えた女が柱のようにささえ、あとは余りの隙間に庭、りんご、ばら、鐘楼、月など狭苦しいのがこの世の狭さとあの世の高さ広さに似てきもちいからついに、天から地へつきぬけるようにはりつめの解かれた屁が腸管をひと息ににぶひーと抜けた。
やがてがらがらと風呂べやに残された者がどたんばたんと雪隠に駆け込み少し待つてぶぶひっ、ぶひぶひっと途切れ途切れに屁をひる。あちらも同じはりつめに遭ったか、とさいご水の吸い込まれる音のなかの螺旋へ屁もこかれぬほどうるわしいグレコの乙女は天に舞い上がるのと逆巻きの幻を描いて消えた。


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