「凡災」③
第5回 ことばと新人賞に応募した落選作「凡災」を一章ずつ掲載しています(3/15)
ひだり手のなかでひらく鏡は機械の目で字界をたどる鳩として翼にこの両目を乗せ舞いあがる。ぐるりを青く塗られた列車の顔ふたつの横に同じ色で書かれた駅の名を読みあげ赤に白丸のぴん留のそばをいくつか過り太い橙の線をしるべに手の中の鳩は地上を見下ろしたままぐるりぐるり、ふた指でつまんで拡ししぼつて縮し昇り降りしてやつと鏡の中にこの足が立つ地べたの位置と向きを見つける。次は水道道路と書かれたただ白い線をたどり室の隣所に見つかる「文」のぴん留をあの煉瓦塀でへだてた中学府に重ねたところまで着くと半回りして次の目しるべへ。橙の太い線めがけ混凝土をふむ白く細く短い筋に鏡は何も映さないが身体のほうがくりーにんぐや、べんとうや、まんがきつさ、ふどうさんや、こめや、せぶんいれぶん、かつどんや、さかなや、せつこついん、さかなやといざかやの小路、はなや、ちようざいやつきよく、ぎようざや、仮店何戸やを過ぎられていく商路を抜けると甲州街道を跨ぐ橋階にぶつかる。また鳩から見下ろす鏡をつまんで拡し緑四角にかこまれた青筋が疏水にそつてひかれた緑道だと明らめまた縮し拡しこの視野とあの視野との帳尻を合わせる。駅のもういくつさきまではこのひざやひじもなにがあるか知るかいわいだがその先はひじやひざも知らぬからひと踏みひと踏み、鳩の鏡が上から見知るのみのかいわいに新しいでこぼこやのぼりくだりを身体の線でかき込むのが侵略めく。
甲州街道にそつて並ぶわいん食舎、めるせですべんつ、みついすみとも、そうかがつかいは中に入られたこともありなにが並ぶかも予感され、漢方局、酒呑童子の祠、ふいつとねすじむ、声優会館は透明にへだてられ近く過るだけでなにかもわかるものの、例の歌いが勝手に住んだ廃ぱん工場のあとの更地をきんぞくぱねるが隔て今はこまつやひゆんだいがほりかえしたりつみひろげたりにいそがしい。さらに越えて火消士の練舎らしきところを石塁が囲むひと隅を過ぎぽぷら列に戸だてや貸家塔ばかりが並び物言わぬあるみ戸、自動鍵の透明扉、ぶろつく塀のぐらふいてい、枯れた朝顔の鉢が並ぶ先あと壁壁続く宅列は愛想がない。それがときおり選挙ぽすたーやらんどりーやこいん車駐に途切れさせられて並ぶのみなのは寂しく、見知らぬ者のだんまりにとりかこまれたような心地が夜ならおぞけに似る。ひじとひざとが未だとどかぬここらではかたとこしの重力が失われ、鳩にも劣らぬ浮き上がりのうららかな目眩を瞬覚え、そと国を旅するようで心暗い。
それから先で左右に広がるおおきな路と交わりこれを斜めにわたり右へそれ東北沢に向けば、田舎より別々にうつつてきた一〇のころから知る友が暮らす室あり、その室とこの室とが歩いて二〇分の間であるから友が生まれ育つた田舎の室同士よりもずいぶん近いという奇縁がある。それでそれのくらす室がこのかいわいの知らぬ室室の向こうたちであるかもしれぬ予感にかわり先の黙りこくつた壁壁のおぞけをいくらか和らげるけれど、幼馴染がおなじく馴染も縁もなく便だけで由緒のないところにうつり住んできたこともまた知るから、知らぬ者らが知らぬところから移り住むくりかえしばかりが壁壁の裏にうろつくのもまた別にこわい。知らぬところから瞬間には知らぬところに逃げる経過所は先も後もまたすぐにほりかえしたてなおしされ由緒の知らぬ工作夫たちが全図のない計略の部分へとどどどどどとほりかえしたりしきなおしたりつみひろげたりされるすぎぬと妄想えば、勝手にむなしさがぞぞぞと首筋を走る。踵を返して顔のない室室や店店のまえを五五年こわされず不気味な計略を見下ろしたところに帰る。
くらしたほんの七月か八月でさえ商路の高価食ぱんやが質屋に、さかなやがふどうさんやに、てれび者のからあげやが空店何戸に移りかわるのを見下ろした。いま歩いたしるべもまたしばらくすると消えるであろう虚しさの生む予感に目眩した帰り、仮店何戸でどこもの電話を売られそうな老夫が、でんわなんかかけるとこないよたまにかかってくることはあるけどだれかがしんだとか、と断るのを聞いた。
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