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サブスクの功罪-名盤が生まれるまで

皆さんこんにちは。
今日は若い頃に読み耽った芥川賞作家・五味康祐氏の『オーディオ巡礼』という本に登場する「名盤のコレクション」についてお話をしていきます。

・究極の100枚
話の内容はこうです。
 ※一旦、サブスクの存在は忘れてください。
音楽ファンには1000枚、2000枚どころかもっとたくさんの音楽ソース(レコード、CD)を所有する人が存在します。しかしその人たちは所有している音楽を年に何度聴いているのでしょうか?
単純計算すると1年365日、毎日1枚のレコードを聴いたとします。すると欠かさず聴いても365枚…つまり残りのレコードは1年に一度どころか数年に一度も聴かないものになります。
五味康祐曰く「そんなものになんの価値があろうか」ということです。”何枚持っているか”よりも”何枚しか持っていない”ことを誇った方が正しく音楽愛好家と呼べはしないか…と。
年間とてつもない量のレコードを買い厳選していく。そして名盤だけが手元に残る。曰く”究極の100枚”。
本に度々登場する五味氏の恩人であり音楽愛好家のS氏。そして五味氏自身も100枚以下でした。すると年に3回は順番が回ってくる勘定になります。

・100枚を目指すが…
であればぼくも”究極の100枚”を目指そう!と志しました。かつて自宅にあるレコード、絞りに絞って整理した後にレコード・CDの数を数えたら700枚前後でした。…いや、それはかなり前の話で今はまた全集などをたくさん買い足していますので1000枚以上かもしれません。
買った数はその10倍以上です。そこから次々にふるいにかけたものが今、手元にあるものです。
実は今のマンションにオーディオラックを作ってもらった際、敢えて枚数が入らないようにしました。ところがぼくは意志が弱くとてもじゃないが究極の100枚どころか、500枚すら守れていません。
結局、ラックに入りきらないCDはサブとして別のラックに収めています。年に1度も聴くことがないのにです。仮に聴きたくなったらサブスクで聴けばいいじゃないか…と自身に訴えますがなかなか踏み切れずにいます。

究極の100枚を目指すため敢えてあまり収納できない
容量にしたラック
この何倍もの数のCDが別のラックに眠っています

・名盤は聴き込むことで生まれる
サブスクでしか音楽を聴かない人が大半を占める現代でこんな話が当て嵌まるのか?と訝る方もいらっしゃることでしょう。しかしぼくは”当て嵌まる”と思っています。

はじめてLPレコードを買った中学生の時分、それはそれは大事に音楽を聴きました。ステレオはモジュラーステレオというプラスチック製の安物です。それでも何度も何度も繰り返し聴いたのです。だから今でもビートルズの歌詞はそらで歌えます。
すっかり大人になり過ぎた今、当時の何倍もいい音で音楽を聴いています。しかし、だからと言って当時より深く音楽を理解できているか?…と問われると甚だ疑問です。
”名盤”は聴き込むことで生まれます。ただ存在するだけでは生まれません。世界中の人が聴き…これはいい!という気持ちが繋がり名盤となるのです。

・サブスクの功罪
サブスクの現代、果たしてそんな音楽の聴き方をしているでしょうか?
チューインガムのように味がなくなったら指を動かすだけでポイっとされる。…まるで消耗品扱いですね。
すごい勢いで消費されていく音楽。なんだか悲しくなります。
ミュージシャン側の立場で考えたときはどうでしょうか?
時代の流れなのだから仕方ないとは言え、それで新しく感動的な音楽を書き続けるモチベーションを維持できるのでしょうか?その先に人を感動させる音楽が生まれるでしょうか?
そういう意味では寧ろ現代の方がいいものを生み出すことが難しくなっている気がします。

ぼくは以前の記事でも書いた通り音楽に関して言えばいい時代に生まれ育ったと心から思っています。
ロックの黎明期から順を追ってリアルタイムで聴き、時代の変化とともに移り変わる様を見ることができました。
…本当に幸せだなと思います。
それだけに”便利”という言葉の裏にある失われていく輝きが悲しく心に響くのです。


如何でしたでしょうか。
時代的にも年代的にも意識の解離があり釈然としない話だったかもしれません。
反対意見でも結構です。コメントをお聞かせください。

それではまたお会いしましょう。

#五味康佑 #オーディオ巡礼 #究極の100枚 #名盤 #レコード
#クラシック



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