感覚と言葉の狭間
「境界を歩く人ー坂村 岳志」
https://logiczine.style/2020/05/20/sakamuratakeshi_kumamotozine/
「美の翻訳家」と綴られた後、「枯れかけた花の美、誰も気に留めないであろう器の美。(中略)目を向けようとしない、または読もうとしない己の自叙伝を、私たちの代わりに翻訳している」とある。
登山道ではなく獣道ばかり選んで歩く「あちら側とこちら側を行ったり来たりできる、境界を歩くひと」とも評されていた。花人 坂村岳志。
私自身は、物事に白黒つけることが昔から不得手だった。断定することでこぼれ落ちるものがある。自分にとって大切なものは、白とも黒ともつかないその狭間にある。いつからか、文章を読んだり人の話を聞くと画(え)が見えるようになった。その絵に適切な言葉を当てはめていく。パズルにも似た感覚だ。
でも本当に欲しいものは、感覚から言葉に翻訳するときに指の間からこぼれ落ちてゆく。感覚と言葉の狭間を読む。感覚と言葉の境界線を綱渡りのように歩く。記事の「境界を歩くひと」の一文に惹かれたのは、そういう理由だと思う。
朝シャワーを浴びながら聴きたい曲。「アクロバティックな口」というコメントを読んでから、そうとしか見えなくなった。
Shirley Bassey "Goldfinger"
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