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ない時間、じゃない。

気づくと5月。

自分のことで云えば、2月の29日と3月の1日に予定していた鳥取のY & Hostelでの出張なぎ食堂&汽水空港での出張リソグラフ印刷+トークイベントを1週間前に中止した時には、新型コロナがかなりヤバイことになってるな、と思っていたはず。鳥取ではまだ誰も感染者がいないにもかかわらず中止したわけだから、「コロナかなりヤバイな」ってホンイキで思いはじめて2ヶ月ちょっと、ということか。うーん、現実認識が遅いよ、もっと危機感持っとけよ、と思いながら、たぶん、それぐらいが一般的な感覚なのかもしれない。どうかな、どうだろ?

この2ヶ月、もうあっという間の時間。緊急なんちゃら宣言なんて、あろうがなかろうが、自分の中ではずっと緊急事態、日々巻き起こる不安とそれを払拭するために情報を集め続けていた最初の数週間。そして、子供たちは3月の中頃から自宅に待機、東京のなぎ食堂は4月の1日からお休み、自分は4月の第二週から山食音での出店「なぎ曜日」を一旦お休みにして、自宅とスタジオでの作業を中心に思うこと考えることを進めることとした。

その2ヶ月は、ない時間、だったのか? それとも、ものすごく大事な時間だったのだろうか? 

今日、子供たちとベタな話をする中で、ふと「この2ヶ月くらいの時間をね、しっかりと覚えてような。この期間に考えていたことや感覚を忘れず、一生、自分たちの中に残しとこう」と口をついた。中学3年の息子は「うん、分かった」と利発ぶった顔で小さく頷き、小学校6年の娘は「なんにもしてないから〜、忘れちゃうかも〜」とニコリと笑う。そして、さっき自然に口についた言葉が、そのまま自分に戻ってきた。僕は、この2ヶ月の感情と感覚を、この先、どういう風に扱うのだろう、と。

実を云えば、この数ヶ月の間、自分の実家で何年も何年も山積みになっていた問題がドロドロと溢れ出し崩れ始めていた。そして、それを完全に解決はできないって分かってるけれど、それでもひとつひとつ整理し始めること、そして逃げていたことに向き合うことに決めた。正直、新型コロナや、仕事ができない経済的な不安よりも、こっちのことが自分の心をキューーっと小さくさせるものなのは分かってる。だけど、子供たちの能天気な笑い声と大切な友人の真摯な言葉に背中を押されて、少しだけ歩を前に進めることができた、かもしれない。いや、まだまだ現在進行系だ。いや、山の裾野を崩した程度(笑)。

現実、というのはやっぱめちゃくちゃ大変だなぁ、とリアルに感じ、かつ、それに比べれば、新型コロナが引き起こす問題や不安はどってことない、とまでは云わないけれど、アフターコロナ(本当に来るのか?)への希望や夢のようなものを強烈に感じているのも事実。そして、その希望は、この数ヶ月、そしてこれから数年の間に、自分と自分を取り巻く世界が大きく変わらざるを得なくなっているから、ということでもある。

多くの人が語るように、「もう、元の世界には戻ることはないだろう」ということを自分もはっきりと感じている。そして、考えてみれば、元の世界が自分にとって、そんなに居心地の良い場所だったのだろうか、と。どちらかと云えば地獄、想いのままに生きられない、どこか不自由のまま、社会と一部帳尻を合わせつつ、やっぱりうまく迎合できず。戦おうとするにも、スルリとかわされ、地面深く引っ張られていくような世界、一言で云えば「大っきらい!」だった。どうしようもない政治とこの国の形態、そんな既得権益を守ることこそが経済活動であるかのような社会、気候変動や自然破壊を見て見ぬふりをして突き進んでいく世の中、子供たちが、若い子たちが、なんだか夢を持てなくなっちゃってる世界。そんなもの、消えてなくなってほしい、と思いながらも、変わらずずっと続いていってしまうんだろうか、ってことの方が自分にとってはとてつもなく恐ろしいことだったんだ。

この疫病は、そんな自分が大嫌いな社会、そして世界の醜悪な部分を見事なまでに暴くものだった。とてつもないパニックに対して何もできず、判断と責任を他人任せにして逃げ込む政治、そんな状況において、疫病をショック・ドクトリンとして利用しようとしている一部の権力者や経済関係者たち、人の不安につけこんで、子供でも分かるデマで扇動しようとするペテン師たち……そんな有象無象が浮き彫りになっていく。馬鹿でも分かるだろ、それでも分からないか? 分かるでしょ、という以前に、このままの社会が続くと、みんな本当に死んじゃうよ、殺されちゃうよ、ということ。そして、社会は、世界はこの先、変わらざるを得ない。

そして、個人的な具体的な話へと再び戻る。

この2ヶ月、何をしていたか、と云えば、ずっとずっと印刷をし続けておりました。「え、こんな時期に仕事があるの?」と思われるかもしれないけれど、仕事かどうか分からない、でも、ただただ、作るものが山ほどあって、印刷をし続けてきた。ちょうど円盤をやっている田口史人が京都のホホホ座にイベントしに来たのが3月16日、その日の晩に、短い時間で話したこと。
「世の中、かなりヤバイことになってる。そして、今、自分たちは何をするかと云えば、モノを作り続けること」と。「今は自粛だけれど、なんで作ることを休まなくちゃいけないんだ」と。
だから、僕はずっと印刷をし続けた。よくわかんないけれど、それくらいしかできないんじゃないか、と。とにかく、会いたい人に会って、話しをして、そして印刷を続けた。そして、まだ足りないもの、例えばシルクスクリーンを刷るための台だったり、中綴じの自動製本機だったり、これから手に入れるコレーター(丁合機)だったりと、お金が一番必要なこの時期にスタジオに対して投資しまくってるという馬鹿。また、自分が作らねばならないものに対してまだまだ足りていない技術……例えば手製本だったり、シルクスクリーンの印刷だったり、断裁の細かなテクニックだったり、印刷用紙の知識だったり……を勉強、そしてまだまだ未熟だけれど、仕事としてやるにギリギリのスキルを手に入れようとしている。いや、仕事なんかにならなくてもいいっか。

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6年前、自分はリソグラフという印刷機を手に入れた。このnoteにもずっと書いているけれど、正直、なぜこんなものが欲しかったのか、ずっと分からなかった。そして、2年前、僕は信頼できる友人たちと、この印刷機とDIYを中心としたスタジオをスタートさせた。そのときも、こんな悠長な趣味の延長のようなことで何ができるんだ、何がしたいんだ?とも感じていた。そして、去年の夏、京都に移住してきて、ホホホ座の2階にて、自分のスタジオをついに始めた。ただ、「ホントにこれで食べていけるのか? いや無理じゃね? じゃ何をしたいんだ?」っていう気持ちに日々苛まれていた。何よりも、自分が印刷をやる「理由」がずっと見つけられなかったんだ。

でも、今ははっきりと分かる。たぶん、これから来る「アフターコロナ」の時代に向き合うための武器を準備していたのだ、と。「武器」って硬すぎるなー(笑)。道具、だな。技術的にもシステム的にもまだ未完成なものが多いけれど、この時期に来て、小さなスタジオが完全に陸の孤島化したとしても(実際、今、スタジオに濃密接触を恐れて、基本一人でブツブツ言いながら、やばい人が印刷しています)、ここから「メディア」を作り出すことができる。ようやくたどり着いた……というか、なんとかギリギリだけれど、この絶妙のタイミングまでに間に合ってよかったと本当に思っている。

ずっと、50年以上、「自分ひとり、もしくは家族がズルいことせず幸せに暮らせればいい」と思って生きてきた。もちろん、それは当たり前のことだけれど、そうやって自分たちを守ることだけを考えていたツケが、今、回ってきたようにも思っています。子供のためにも、自分のためにも、できるかどうかなんて関係なく、世界を、社会を変えていこうとしなくっちゃいけない、んじゃないか、と。それがD.I.Y.ってことだと思うし、社会とつながること、向き合うことをやめちゃ駄目だな、と。もちろん拳を振り上げるのではなく、自分の周りから少しずつ少しずつ。

その結果の一部が、片想い・biobiopatataのエンちゃんこと遠藤里美とテニスコーツさやらによるざやえんどうの楽譜付きCDだったり、ホホホ座山下くんの日々の日記をまとめた「にいぜろにいぜろにっき」(1月から3月まで絶賛発売中! 日常の淡々とした話がどんどん深くなってきてるのが可笑しい)であり、5月の1日(本日)にはhand saw press Kyotoに届くであろう、円盤・田口史人がコンパイルした「ミツザワ通信特別篇」だったりします。ほかにも、既にいくつかインタビューを取っていて形にできていないzine等も作りたいし、やりたい、やらねばならないことも多数ある、のに、そこに向かう時間が全然足りない! また、現在制作中のhand saw pressのwebをベースにした情報サイト等、ずっと前からやり始めていたものが山ほどあるし、ホホホ座の松本くんと組んでの制作物、そしてホホホ座ねどこにアーティストレジデンスしている作家さんとの共同作業もあったり。できないよ、大丈夫か、自分(笑)。

正直、印刷や製本ってホンット地味(笑)。シコシコと紙を揃えて、機械に送り出し。ズレを気にしながら紙が重送されていないか、チェックしつつ。なにか心に湧き上がることを考え始めたら、ルーティンでやってる仕事がどんどん作業が遅れていくので、気持ちを「無」にしつつ。だけど、しばらく気持ちを「無」にしていくことで、なんだか別方向に覚醒していく感じも楽しい。気づくと、体力的にではなく、精神的に地味な緊張感でどっと疲れている。家に帰ってきて、気づく。

ミツザワ2

もちろん、何よりも、今、家の中でストレスを若干ためながら暮らしている子供たちとの「日常」を一番優先するべきだとも思っていて、彼らと何かを作ったり遊んだり、クッキー作ったり、一緒に絵を書いたり、散歩したり考えたりする時間が「今」だと思っています。

そして、考える。この2ヶ月、僕は何をしていたのか? これをない時間にしてたまるか、されてたまるか、だ。そして、この時間の先にあると信じている希望をかすめ取ろうとする山師たちと向き合うためにも、今、僕は毎日印刷をしています。そして、明日も。

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