#24 誰が御免を蒙ったのか。/コトノハーバリウム
「一年を 二十日で暮らす いい男」。これはあるサイトで紹介されていた川柳だが、この一年の暮らしを二十日で稼いでしまうという「いい男」が指し示すのは誰のことだろうか。
ヒントは二十日で、これは十日×二回のことなのだが、今の様式とは違うのでわからなくても当然である。
正解は力士である。十日×二回というのは、昔の春と秋の二場所が十日ずつ開催されたことに由来している。
今でも勿論人気があるが、江戸時代において上位の力士はまさにスーパースターといった人気があったようだ。
さて、今日は「蒙御免(ごめんこうむる)」というコトノハを紹介したいと思う。これは、相撲の番付の中央に大きく描かれている文字である。
奉行さまに御免(許可)を蒙っている(受けている)という意味で記していた名残らしいが、どうしてそんな但し書きをする必要があったのだろう。
「火事と喧嘩は江戸の華」という言葉があるほど、江戸では喧嘩が多かったようである。(火事が華だったのは、木造の長屋で起こる大火事を鎮火する消防士の働きぶりが華々しかったからだそうだ。)喧嘩の多さは、ひとえに江戸っ子の気の早さが原因とされているが、想像はた易い。
また、相撲で行われる喧嘩のような争いごとの類には、賭け事がついて回ったそうだ(パチンコや競馬に熱狂している人がこの現代にもいるのを鑑みれば、娯楽が今よりは少ない江戸の地でギャンブルにハマる人がいることは当然とも言える)。
そこで、風紀を乱していることなどを理由に幕府は禁止しようとしたが、大した効果はなかった。そこで、相撲で得た利益を寺社に寄進する「勧進相撲」というシステムが生まれたのである。
勧進相撲を執り行う場合は管轄の奉行に許可を取らないといけない。許可をとって興行をしていることを示すために「蒙御免」と大きく記載したのである。
その後、無許可なのに「蒙御免」と書いて相撲をとる輩が出たこと、俠客が頻繁に来て結局喧嘩は絶えなかったことから、一時は禁止になって時期もあるようだが、何やかんや(中略)で今に至るようである。
ということで、今日は「蒙御免」を紹介した。相撲は神事であり聖域のような印象も少なからずある(それを理由として女人禁制のようなルールが存在するのは全く理解できないが、今回は長くなりそうなので割愛)が、意外にも庶民に親しまれたようである。(任侠とか賭け事の面は相撲協会のHPには載っていないのだが、私の情報リテラシーだとギャンブルは盛んだったように思える。)
ではまた。
〈昨日(8/26)の記事の答え合わせ〉
わかった人がどれだけいるのかは正直わからないが、昨日のリポグラムではE抜き(エ段を全く使わない)で文章を書いてみた。縛りをつけるとくどい文章が何だか文豪チックに見えたので難しいながら楽しくできた。是非日記などを書いている人は試して欲しい。
これは私がインプットをしてよりよいアウトプットを生成するための燃料です。あなたの活力にできるような文章を生成することに尽力します。