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#19 決してお洒落ではない、「アコギな人」とは/コトノハーバリウム

 俗に「アコギ」というと、アコースティックギターのことを指し示すことが多い。エレキではないギターのことだが、今日のコトノハは、楽器など何の関係もない「アコギ」についてである。

 「アコギな人」というと、漢字では「阿漕な人」と書く。辞書的な意味でいえば、「際限なくむさぼること。また、あつかましいさま。ひどく扱うさま。」(広辞苑より)という意味である。

 この語源は、「阿漕の平治」と呼ばれる伝説にある。

 「阿漕」というのは三重県の海沿いにある地名である。そこは伊勢神宮に近く、神様にお供えする魚を獲るためだけの漁場として指定されていて、個人的に食べるための漁は禁止だったそうだ。その掟を破った者はむしろ(ワラの編み物)でぐるぐるに巻かれて海に捨てられてしまう決まりだった。

 そんな阿漕で、密猟を幾度となく繰り返す者が現れた。それが平治である。密猟が役人にもバレてしまい、間もなく捕まって海に投げられてしまった。

 この話は能の演目「阿漕」の題材となって後世に残った。能の舞台では、海に投げられた平治の亡霊が登場する。彼の罪深さから死んで向かった地獄でもなお苦しめられてしまう、という様子が描かれている。

 その話が転じて「阿漕」は繰り返すと露見してしまう、また先述したような図々しさ、浅ましさを表す言葉となったようだ。

 ただ、もう少し掘り下げて調べると、平治は阿漕の地元では阿漕塚という場所に善人として祀られている。なぜなら平治は病の母親のために禁漁に手を染めたというのだ。母親が「ヤガラ」という阿漕以外では滅多にお目にかからない魚が欲しいというので海に出向いたというのだ。

(上は三重県のサイトだが、辞書の阿漕とは全く異なる内容が書かれていた。)

 病気の母がいることが犯罪を犯していいかは別の話として、犯罪者の話が多角的な話で伝承されている。言葉の由来を追うと面白いと感じる一つのケースだと思うのである。

 ということで今日は「阿漕」について紹介した。平治には悪いが、今の日本語の通り、この言葉はマイナスな意味で使わせてもらう。ただ、悪人とされる人にも人生があり、一つの行動で決めつけるのはいかがなものかと考えさせられる言葉だと思う。

 ではまた。

 

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