鳶(とび)をしながらNPB追い求める 球速上り基調 目指すは150㌔超
VOL11 投手 野中赳(のなか・たける)背番号20・新入団
NPBを目指して2年間、鳶(とび)の仕事をしながらクラブチームで野球に打ち込んでいた。高所で足場を組むその仕事は言うまでもなく危険でありハードだが、彼にはそれを遥に上回る希望と夢があった。
神戸市垂水区で生まれ育った。若い頃に野球をしていた父親は現在、地元で少年野球の監督をしており、「子供の頃から野球に囲まれて育ちました」。彼は甲子園出場を目指し、秋田市のノースアジア大明桜高(旧・秋田経法大高)に野球留学。チームは甲子園出場を果たしたが、残念ながら彼自身はベンチに入れなかった。その悔しさをバネに、彼はNPBへの針路を模索。その選択肢の1つに大学野球があったが、「大学は(ドラフト指名を)4年間待たないといけない。自分は1年で勝負したい」とクラブチームを選択した。そのチームは元大リーガーの大家友和氏が率いるOBC高島(滋賀県)で、彼は2年間ピッチャーとして活動し、NPBに対する渇望感を高めていった。
つらい仕事も夢があったからこそ
クラブチーム時代、生活は決して楽ではなかった。実業団ではないゆえに自分で働いて収入を確保しなければならない。だが、10代の若者が野球をしながらまとまった収入を得るのは容易ではなかった。そこで選んだのが鳶の仕事だった。ヘルメットを被って高層マンションや大きなアパート建設のための足場を組み、解体する肉体労働だった。「確かに危ない仕事でした。酷くはなかったですが骨折も経験しました」と、こともなげに話す。「鳶の仕事で体を使うと野球にも生かせられると言われるかも知れませんが、使う筋肉が全然違いますからトレーニングにはなりませんでした」と苦笑する。そんな生活は2年間続いた。彼には夢があった。そして「(NPBに向けて)勝負したい」と一念発起、パイレーツの門を叩いたのだった。
トレーニング広げパワー増強へ
右投げのオーバースローで、「オーソドックスな投法です」と野中選手。ストレートは2月末の今治強化合宿で最速144㌔を記録し、小幅ながらそれまでの球速を上回った。「球速は上り基調にあります」と声を弾ませ、ウェイトトレーニングや柔軟系、ジャンプ系のトレーニングに加えて数キロのボールを使ったメディシンスローに余念がない。目前の目標は最速150㌔で、「パワーが付きつつあります。150㌔台の半ばまでは不可能じゃないと思います」と、強気のコメント。その他の持ち球がカーブ、フォークもしくはスプリットと決して多くないだけに、ストレートのスピードとキレがピッチャーとしての成長の必達要件になる。
また、球速向上のためにも彼自身が「大きな課題」とするのが体作り。「チームメイトを見てもごっつい選手が多い。それに比べ自分は体がまだまだ小さいので体を作らないといかんです。筋力をつけて体重を少し増やしていきます」
とし、トレーニング漬けの日々を覚悟する。入団してから3ヵ月余――、「毎日野球のことばかり考え、毎日野球のことばかりやれるのは楽しいです。いい環境ですし、(鳶時代と比べ)本当に幸せですよ」と、早くも真っ黒に日焼けした顔で溌溂と言い放つ。
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