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レッドウィングの偉大な歴史

どうもこんにちはSHINSEIです!

YouTubeにてファッション系の動画をUPしているので、もし良ければ、お時間ある際にご覧いただけたら嬉しいです!

90年代日本に訪れた渋カジブーム。そのブームを引っ張っていたのはレッドウィングです。男らしくタフなアメリカの匂いを日本に届けてきた来たのです。そんなブランドの歴史の始まりは1905年。

100年以上続く老舗はどのようにして、世界中の男の足元を支えてきたのか?

その歴史をお話します。

また、動画にて僕の愛用しているレッドウィングについての解説をしているので、もし良ければ是非ご覧ください!


◆創業者・チャールズベックマン

エス・ビー・フット社というタンナーを子会社に持っている『レッド・ウィング』は、レザーの生産から製品の仕上げまで自社で一貫して行うことができる。

世界的に見ても極めて希少なブーツメーカーなんです。レッド・ウィングが比較的リーズナブルに質の高い製品を作れる秘密はそこにあります。

これが、頑なにミズーリ州での生産にこだわっている理由でもあります。

そんなお値段以上のクオリティで足元を支えてくれるブランドの創業者のお話しから始めていきます。

レッドウィングの創業者チャールズベックマン。

彼は自らを“シューマン(靴男)”と名乗るほど靴へ熱い情熱を持つドイツ人であり、靴に魂をかける人物でした。

そんな彼は、靴商人としての知識や経験などから、当時の労働者が活用してる靴に違和感を感じ、メインストリートの他の14の地元企業投資家と共にレッドウィングシューカンパニーを設立しました。

このミネソタ州のレッドウィングという土地は、19世紀後半に、産業が盛んな場所だったと言われています。小麦の生産に長けており、数年後には天然の粘土層を発見し石器産業も盛んになります。なので、ブーツの需要がある地域だったのです。

ちなみに余談ですが、レッドウィングという名前は、ミネソタの小さいレッドウィングという町の名前に由来しています。

産業を支え続けたレッドウィングという土地の労働者たち。

チャールズベックマンは日々彼らの靴に注目していました。ここで労働している人々は、発掘作業をしている人や農地を耕している人、建設業者など、多彩な職種の方々があふれかえっていたんです。

しかし、当時はどの靴を見ても職種に適したものとは言えないようなものばかり。職種によって、適したブーツが必要と考えていました。その思いからレッドウィングを設立したと言われています。

故にワークブーツの製作は、創業のきっかけともなっており、ワークブーツはレッドウィング の原点とも言えます。

創業当時はベックマンと他14人の男たちだけの小さな工場で、そ一の生産数は1日に110足というわずかなものでした。しかし、1908年にはマッケイ製法に加え、高級モデルにはグッドイヤーウェルト製法を導入しました。

創業当初、最初の1~2年は苦労しますが、企業した3年後に、同じくレッドウィングにあった当時の最先端施設SBフットタンニングカンパニー(皮革製造施設)とのパートナーシップにより工場を建設することになります。

ここから靴に魂を捧げたベックマン率いるレッドウィングの偉大な歴史が始まったのです!

◆レッドウィング の歩み

1908年・生産工場を建設。
ミネソタ州レッドウィングのメインストリートとポッターの一角にプラント1と呼ばれるレッドウィングのオリジナル工場を建設しました。

現在もなお、このプラント1は、稼働しており、新商品の開発を主に行っています。

当時ここで作られるシューズは全て手作業で革のカットを行っていました。ちなみにシューズを製作するミシンはピューリタン社製のものです。しかしピューリタン社では現存していません。なので、今では手に入れることがほぼ不可能となってしまいました。

それでもレッドウィングは、今では貴重なものとなったピューリタンミシンを現在も使用しているのです!

レッドウイングのブーツの特徴であるトリプルステッチは、レッドウィング の象徴でもあり、これはピューリタンミシンを採用しないと再現できないものなのです。

このこだわりこそ、人を魅了する一つの理由にもなっているのではないでしょうか?ただ、トリプルステッチで革を縫うことができるこの、ピューリタンミシンは、ただ単に見た目のこだわりだけで採用して今も使い続けているわけではありません。

トリプルステッチは、ブーツの耐久性と強度を高める効果があるのです。

レッドウィング のこだわりでもあるピューリタンミシンは、今でもメンテナンスを繰り返し約30台ほどが現役で活動しています。

このこだわりには、とても好印象ですし、感動します。

そして、労働者の足元を支えてきたチャールズベックマンですが、1911年には引退し、株主に経営権を譲ることになります。

その後、1912年にはブラウンチーフシリーズというファーマーに向けたモデルをリリース。ミネソタ州は農業が盛んだったため、農業労働者に向けたモデルを発表したのです。結果としてこれが大当たり。1日800足以上生産する体制を整えていたにもかかわらず、対応できないほどだったといいます。このブーツでレッド・ウィングの地位は確立されました。

1920年代になると、レッド・ウィングはさらなる進化を遂げました。

レザーソールだったワークブーツをさらに快適なソールにしたのです。これにより滑りにくく、耐久性や耐水性に優れ、レザーソールよりも安価なもので作ることが可能になる。そんな理想を追い求め、辿り着いたのがグロコードソールという、ラバーに繊維を練り込んだものでした。このソールは労働者に高く評価され、ハンティングシューズやスポーツシューズに採用するメーカーまで現れるほどとなりました。

着実に男の心を射止めてたレッドウィングですが、何と1926年女性用のブーツを制作します。このブーツは、キャンプや狩猟など、様々なアウトドアシーンで使用できる強さや耐久性を備えた設計となっています。

これまでは主に作業用のメンズシューズを製作してきたレッドウィングからの女性用ブーツを発売というのは、当時とても話題になり、その強さや安全性などが評価され多くの女性たちの心を虜にしてきました。

レッドウィングは男心だけではなく、女心までも掴み取る魅力があるのです!

レッドウィングが当時から人気であり労働者たちに愛されていた証拠の一つに、レッドウイング地域において22年の間に50万足を販売したと言われています。

まだグローバル化していない当時においてこの数字は驚異的なものだと思います。

この頃から、靴の販売事業は大成功と言えるでしょう。

ちなみに余談ですが、現在では約150ヵ国で展開されており、年間販売数は300万足を超えるとも言われています。当時と比べるととんでもない規模のブランドへと成長したのがわかります。

1930年代からは、よりタフなブーツを展開。
1934年のスチールトゥの登場は、それまでのワークブーツの概念を覆す画期的なもので、ワークブーツに新たな変化をもたらしました。

その後、今度はさらなる重労働用ブーツを作ることになります。それが製材所で働くロガー達に向けたロガーブーツ、石油採掘所の採掘員や蒸気機関車の機関士に向けたエンジニアブーツなど、様々な専門職に対応する専門的ワークブーツが人気を高めていったのです。こうしてレッド・ウィングは、確実に労働者の心を掴み、ワークブーツの定番としての地位を確固たるものにしたと言われています。

1939年にはクレープソールを使ったハンティングブーツをリリースし、これが後のアイリッシュセッターのルーツになっていきます。

◆偉大なモデルの誕生

レッドウィングを象徴する伝説のモデルが、1952年に開発されました。そう、アイリッシュセッター です!

このモデルは、877のことであり、オロラセットというなめし革を使用し、モックトウタイプで、アウトソールはトラクショントレッドソールという仕様。つま先に縫い目があるタイプを採用したもので、8インチ丈のものでした。

この赤茶色のオロラセットという革が、経年変化によって犬種のアイリッシュセッターの毛色を思わせる色に変化することから、その愛称で親しまれることになります。

現在では、「ワークブーツ」にカテゴライズされることが多いですが、元々はハンティング用のブーツであり、その数年後に発売された、6インチハイトの875 (現行8875) もアイリッシュセッターと呼ばれています。

このアイリッシュセッターを発売したレッドウィングは大成功を収めます。そして何と過去最大の利益を得るのです!

確実にステップアップをしているレッドウィングは、そこからさらに、ブーツ業界において、確固たる地位を確立して行きます。

1953年にはカウボーイやファーマーのためのペコスブーツも発表。

同年には101ポストマンシューズも登場するなど、1950年代はレッド・ウィングの黄金期となりました。それぞれのモデルが、今日まで続く大ベストセラーであり、今ではレッド・ウィングを代表するモデルとして広く愛されるモデルとなっています。

その後、1980年代、ぬかるんだ山の斜面でも滑ることのないよう開発された深いラグを持つロガーソールが誕生し、勢いは止まることを知りません。

誰しもが、レッドウィングの勢いを止めることができないまでのビックブランドへと躍進を遂げていました。

しかし、1990年代に入ると、アメリカの作業靴やハンティングブーツ市場の変化とともに売上げが縮小し始めます。日本ではこの頃アメカジブームではあったものの、アメリカではアメカジブームが収まってしまっていました。

その結果、売り上げは下がりレッドウィングにとって機器的状況を迎えます。

売り上げ減少を受け、1997年にはレッドウィングとは別の独立したブランドとしてアイリッシュセッター・ハンティングブーツを設立し、北米市場に向けた中価格帯のハンティングブーツ、作業靴のブランドへと生まれ変わりました。

その後、世界的にワークブーツが再び勢いを取り戻したこともあり、2011年にはレッドウィング内で新たなアイリッシュセッターシリーズが誕生。

ちなみに余談ですが、復活のきっかけとなったのは、日本市場における熱狂的支持者の声だったという噂もあります。そのくらい1990年代から2000年代にかけてレッドウィングは海外ではなく、日本で爆発的にヒットしたのです!


 ◆その後と日本との関係

日本には、1970年代にレッドウィングが上陸されたと言われていますが、人気に火がついたのは先ほど申し上げたとおり1990年代、アイリッシュセッターが登場してからのことでした。

そして2005年には、レッドウィングの子会社として、レッドウィングジャパンが創立しました。 2014年1月10には、東京の南青山において、日本で初めてのレッドウィングの直営店がオープン。このレッド ウィング シュー ストア東京南青山店は、世界で唯一のヘリテージコレクションのみを取り扱う店舗となっています。

このことから分かるとおり、レッドウィングにとって日本というマーケットは非常に大事なものなのです。 

2000年代からは、元々日本でも人気の高かったレッドウィングが、本格的に日本でも販売を開始し始めました。

アメリカでのレッドウィングは「作業靴」という位置づけでいましたが、日本ではライフスタイルブランドとして大々的に宣伝を行うことで、アメリカのファッションや文化に憧れのある日本人にとって大きな話題になり、日本国内で一躍トップブランドとしての地位を確立しました。

レッドウィングのブーツを履くことは、当時の日本人にとっては、一種のステータスでもありました。

そして、今日においても、レッドウィングは日本を中心に世界中の男の足元を支えるブランドとして君臨しています!


◆まとめ

以上が、レッドウィングの歴史になりますが、いかがでしょうか?

個人的にレッドウィングは高校生の時から憧れの存在でした。なので制服にレッドウィングを合わせて青春を謳歌していたときにことを思い出します!

僕にとってもレッドウィングは特別な存在であり、相棒なのです。

今回の記事では、長くなっちゃいますので、レッドウィングのモデルの詳細や、PT規格などについて詳しくは語っていません。ご了承くださいませ。

皆さんの思い、ご意見もコメントでお待ちしております!

それではまた次回でお会いしましょう!


メイプルソープ シンセイ


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