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ハウスオブグッチを見る前に予習しませんか?

皆さん、どうもこんにちはSHINSEIです。

ファッション系のYouTubeをしているので、もしお時間がある方はご覧になってみてください!


早速ですが、現在上映中のハウスオブグッチをご覧になられましたでしょうか?

タイトル通り、グッチ一族の実話をもとに制作された映画です!

そしてなんと主役のパトリツィアを演じる唯一無二のアーティスト、レディー・ガガをはじめ、
パトリツィアの夫マウリツィオを「スター・ウォーズ」シリーズのアダム・ドライバー、
マウリツィオの狡猾な伯父を名優アル・パチーノ、

マウリツィオの独創的な従兄弟をジャレッド・レト、

そして、昔気質な父親をジェレミー・アイアンズが演じ、超豪華キャストが

“華麗なる一族の真実”を演じています。

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ファッション好きではあれば、誰しもが観なければいけない!もはや義務!w

それくらい興味がある方も多いはず。

では、この映画を見る義務を果たしていない皆様に向けて、今回はGUCCIの歴史を解説していきます。

今回の記事を最後まで読んでいただければ、間違いなく、この映画が数倍楽しくなるはず!グッチの華麗なる歴史を知った上で、豪華キャストがどう演じてくるのか?そんな楽しみ方も最高ですよね!

それでは最後までよろしくお願いします。

ちなみにYouTubeでも解説してます!
こちらの記事の最後にURLを貼っていますので、是非ご覧ください!

◆天才の誕生と壮絶な経験

グッチオ グッチは1881年

麦藁帽子の製造向上の息子として誕生しました。

しかしグッチオグッチの父が経営する麦わら帽子の会社の経営が悪化し、破産しました。

財産はおろか自宅さえも失い無一文になってしまいます。

まだ若かった彼は、ロンドンへ向かうことを決意します。

裕福ではなかった彼は、ロンドンへ辿りつくまでに蒸気船の機関助手として働きながら向かっていたと言われています。

1898年ロンドンに到着します。

ロンドンでは最下級の労働者として働くことにはなったが、

働いていた場所はサヴォイ・ホテル(Savoy Hotel)という最高級のホテルだったそうです。

現在グッチを知らない人の方が少ないくらいの認知度があるビックメゾンブランドの創業者が、まさかそんな経験があるなんて、、、意外ですよね、、

サヴォイ・ホテルでは皿洗いから、1階のウェイターにまで出世しました。


それでも最下級の労働者だったため低賃金だったそうです。

しかし、グッチのこの経験は今後の彼の人生に影響を与えます。

最下級の労働者ではあったものの、最高級のホテルだったので、客層は素晴らしい。

王族貴族たちの立ち振舞、身に付けるものを間近で見ることができたのです。

「原価は何も意味を持たない。むしろ商品の値段が高ければ高いほどそれを所有することの価値も高くなる」

「価格は忘れるが、品質は生涯残る」

これはグッチの有名な名言です。

これらの名言はおそらくここでの経験で得たものだと思います。

その後、グッチオ グッチは1901年フィレンツェに戻ってきます。

帰国後は、商店で働いていたそうですが、なんと第一次世界大戦の開戦と共に徴兵されてしまうことになりました。

あの華麗なる一族を作り上げたグッチがまさか徴兵されていたなんて、、、意外です。
そして大戦後の1919年またフィレンツェに再び戻り、革についてのノウハウを習得しました。

様々な経験をしたグッチは、とうとうある決断をします。

1921年グッチ氏が40歳の時に、革製品を取り扱う会社を設立し、

怒涛の躍進を遂げます。


◆グッチの創業

イタリアを代表するメゾンブランド グッチは

1921年 イタリア・フィレンツェで、創業者グッチオ・グッチによって旅行鞄や馬具の皮革製品店として誕生しました。

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 典型的なスタイルで上質な革製品が人気を博し、わずか2年後の1923年には2店舗目をオープンしました。

3人の息子と一緒に、グッチはミラノとローマに新しい店舗を展開。

フィレンツェに更なる店舗を展開し会社を拡大しました。

当時のグッチの店はハンドバッグ、靴、そしてグッチの象徴的な装飾が施されたローファー、そして繊細に作られた革のアクセサリーを置いていました。

ちなみにグッチオ グッチは色んな逸話がある男で有名ですが、

僕が好きな逸話の一つで、

グッチは他の高級ブランドとは異なり、材料費さえ払えば職人の家族に鞄を作流ことを許可していたそうです。

グッチオグッチは、グッチの製品が職人の家族にとってなかなか手の届きにくいものであったことから、粋な計らいをしていたそうです。

これは、グッチオ が人格者であり、職人も家族同様に思っていた証でもあったのでは無いでしょうか?

その証拠に、グッチオ は職人からの信頼も厚く、また職人への信頼もグッチオは厚かったそうです。こんな人間になりたい、、、素晴らしい

ちなみに、現在グッチはこの制度を廃止しており、おそらく社割くらいでしか買えないはずです、、、

また、グッチオグッチの人望は厚く、その証拠に大企業になる前の1970年代頃、工房には130人の職人が働いているという大所帯だったそうですが、この工房から職人が離れるということはほとんどありませんでした。

また終身雇用も保障するなど、信頼関係とリスペクトの気持ちが伝わります。

経営者としても人格者としてもグッチオグッチは素晴らしい人物だったのです。

しかし実はその一方で、こんな面白い逸話もあります。

イタリア訪問中のエリザベス2世がその当時話題になっていたGUCCIを訪問した際、

女王付の侍従が彼に「何か陛下にプレゼントを」と進言したので、バッグを女王に進呈したが、女王一行が去った後、

報道陣がまだいるにもかかわらず「金も払わん乞食はもう来るな」と発言したというのです。

女王に向かってそんなことを言えるとは、、、すごい、、、

ロックマインドも感じますし、かっこいいですよねw

人としての魅力をひしひしと感じます。

◆Gucciを象徴する有名な柄の誕生

Gucci GGパターンの誕生。

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ちなみに、グッチを語る上で欠かせないのがGGパターン柄。

今でも人気のこのGGパターン柄は、世界で初めて商品に品質保証のために採用され販売されました。

よ〜句見ると天地を逆にした2つの「G」が特徴的ですが、第2次世界大戦が始まると、軍の統制下に置かれ、自由に資材を手にすることができなりました。それはグッチも例外ではなく、かなり厳しい状況となります。

そこで、創設者のグッチオ・グッチはレザーグッズに代わる素材としてキャンバス生地を選択し、

ダイヤモンドパターンを施したグッチ初のシグネチャーパターン「ディアマンテ」を製作したそうです!

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これもグッチらしいアイテムですよね!


その後、創設者のイニシャル「GG」をディアマンテ パターンに加え、先の「GGパターン」が誕生したのである。
かくして生まれたグッチの象徴的パターンは、その後、世界中から深い愛を受けるアイコンとして成長していくことになる。

こうすることによって、グッチブランドのブランド価値を高め、メゾンブランドとしての道を歩んでいくことになります。

このことから「ブランドの元祖はグッチ」と言われています。

その”ブランディング力”と、皮革職人の名匠が集まるフィレンツェで、上質な革素材を使い一点一点造られた”技術力”、そして伝統を守りながらもユニークで革新的な”デザイン力”。

他のブランドには無いその魅力は、オードリー・ヘップパーンやグレース・ケリー、ジャクリーン・ケネディといったセレブたちの心も射止め、グッチは世界中の憧れブランドになりました。


現在でもグッチはGGパターンを大切にしており、スニーカーから洋服まで様々なアイテムで採用している、ブランドのアイコニックな存在です。


レザーの製造を制限されたので代替素材として、日本から輸入して造った竹の持ち手である、バンブーシリーズを発表。これが世界中で大流行しました。

1940年代後半にはロンドン、パリに、1950年代にはニューヨーク、ロサンゼルスへと店舗を展開していくきっかけとなります。 

1950年代 現在でもGucciのトレードマークの、シェリーラインが発売されました。
誰もが今連想するであろうグッチ らしさの緑×赤、青×赤 

いわゆるイタリア2色コンビのことをウェブリボンとも呼ばれています。

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◆創業者グッチオグッチの死 

創始者グッチオグッチが1953年1月2日。ニューヨークに店舗を構えた15日後に生涯の幕を下ろすことになります。

偉大な創業者を失ったGUCCIですが、1950年代、グッチオグッチの五男であるロドルフォが映画関係の仕事をしていることもあり、映画の小道具にGUCCI製品が用いられるようになりました。

これを機にGUCCIは女性たちの間で注目され、世界中のセレブリティの愛用品になりました。

また息子のアルドの手がけたオリジナルグッチが今ではオールドグッチと称され世界中にコレクターがいますが、この頃はまさに黄金期です。

創業者のグッチオ死後、60年代~80年代初頭にかけて、抜群のデザインセンスを持った二代目の後継者アルドによって生み出されました。

そして事業継承した二人を主軸としたGUCCIは

海外進出にも積極的に取り組み、アルドの代で店舗数は500にまで増え、世界的なブランドへと成長し70年代に黄金期を迎えます。

誰もがこの栄光がずっと続くと信じていました。

◆GUCCIの黄金期と継承争い

ここからは今回公開されるハウスオブグッチの題材となった歴史になります。

1953年、グッチオグッチが亡くなった後に三男のアルドが事業を継承しました。グッチオには6人の子供がいましたが、すでに兄弟間での確執と後継者争いが始まっていました。

三男のアルドは反対を押し切りローマやニューヨーク、パリなどに支店を出し海外進出をさせました。これが兄弟の中をさらに悪くするきっかけにもなりました、、

また五男のルドルフォは最も父のグッチオに愛され、兄のアルドと均等にグッチの株の配当を受けたこともあり、他の子供からの反発もあったとされています。

GUCCIの内部分裂が、創業者グッチオグッチの死によって始まったのはとても悲しい現実です。。。

そして最悪の事件が起きます。

三男アルドの息子のパオロが3代目の社長に就任した時に、中流階級まで顧客層を伸ばした商品のブランド展開を独断で始めたのです。

これにより、これまでグッチオグッチの築いた高級なイメージと、グッチのハイブランドとしてのイメージが壊され傷がついてしまったそうです。

結果として、これまでの顧客は離れ、グッチの売り上げも低下し、破産の道を突き進んでいくことになります。

このことを知った父アルドの逆鱗に触れ、パオロはグッチから追放されたそうです。

しかし、GUCCIの崩壊はこれだけに留まらず、

GUCCIを追放されたやらかし大臣のパオロは、従兄弟にあたるグッチ株を50%所有するマウリツィオとタッグを組み、父親のアルドを社長の座から引き摺り下ろすというクーデターを起こすのです、、、、

なんとも醜い争い、、、悲しい限りです、、

そして株主総会が開かれ、なんと1984年に2代目のアルドは社長を辞任することになってしまいました。


そして3代目の社長に就任したのが、パオロに協力したマウリツィオでした。


しかし父のアルドは簡単に社長の座を奪い取られた事に大人しくするわけはなく、翌年裁判となります。

マウリツィオは社長職を一旦離れることになりますが、翌年パオロはなんと実の父親の脱税を告発し有罪判決。

80歳過ぎの老いた父親を獄中に送ったそうです。なんとも非情な、、、

しかし、実は裏でマウリツィオとパオロを動かしている人物がいました。

そう!あのレディーガガが演じるパトリツィア・レッジャーニです。彼女はマウリツィオの妻でした。

しかし、パトリツィア・レッジャーニとマウリツィオは、経営方針や意見の食い違いで言い争いが絶えず、夫婦関係は破綻します。結局離婚することになったパトリツィアはなんと夫の殺害を企てます。

その結果なんとパトリツィア・レッジャーニは懲役26年の有罪の判決を受けます。

なんとも悲しい物語です、、、、

その後、1990年、黄金期を築いたアルドが死去。

そして1993年にはマウリツィオ自身も、全ての株を売却します。

これによりGUCCI株の過半数が一族の手から離れ、世代を跨いだグッチ家の醜い争いは、グッチのブランド価値を大きく下げる結果になりました。

なぜ彼女は殺害を企てたのか?

この頃のGUCCIの内部分裂。

この辺を是非とも楽しみに映画をご覧いただければと思います。

なので、この辺のことに関してはあえてこのくらいにしておきます。



◆救世主の登場

トム・フォードによる復活

1994年、クリエイティブディレクターに就任したトム・フォードによってgucciは回復を見せます。

彼の就任により、GUCCIが回復をしていくことになります。

トムフォードは、就任してから様々な戦略を行いました。

その一つに、廃盤になった黄金期の象徴であるオールドグッチの60~80年代のアクセコシリーズをイメージして、GGパターンやバンブーシリーズ、フローラなどの要素を再構築し、見事にGUCCIを甦らせました。

トムフォードはドミニコ・デソーレの支持を得て、グッチ一族の黄金期だったあの頃を取り戻すかのように、怒涛の勢いで、人気を得ていきます。


トムフォードのファーストコレクションとなった1995年春夏コレクションでは、これまでのGucciのイメージを一新し、90年代のファッションに劇的な変化をもたらしました。同時にこれまでのGUCCIのイメージも一新します。

彼が手がけたGUCCIは、斬新かつ魅惑的でセクシーなスタイル。

これが世界中の人々に衝撃を与えます。

その結果、同ブランドの利益は、1994年から翌年にかけて90%増加。

90年代にもっとも人気を博したブランドといっても過言では無いと思います。

すげー、トムフォード、、、、

1994年にクリエイティブディレクションを担当してから1996年までには既製服、ビジュアル、インテリアデザイン、広告など、会社のあらゆる面を改善し、見事に崩壊したGUCCIを奇跡的な再生を遂げました。

その後、現在はアレッサンドロ・ミケーレがクリエイティブディレクターを務め、Gロゴなどの伝統を守りつつも、派手なデザインやストリート要素を取り入れたデザインで、富裕層の心を射止め最先端ファッションとして人気を博しています。



◆まとめ

長くなりましたが以上がグッチの歴史になります。

創業者のグッチオグッチは貧しい家系で育ち、下積み生活を経て確固たる地位を築いてきたのに、ここまで呆気なく崩壊していくのは悲しいですし、グッチオグッチがもし生きていたらどう思っていたのか?

そして、グッチという巨大企業の権力に目が眩み、素晴らしい兄弟の絆が裂かれていく、、、

とても悲しいです。

もしトムフォードがいなければ間違いなく、グッチはいなかったと思います。まさに救世主ですね。

とても右左曲折があるブランドですが、そんな経験があるからこそ、今のグッチがあるのかもしれませんね。



さて、ようやくここまで書けたので、今からハウスオブグッチ観てきますー!!!!

あ、気付いたら夜中だから今日は行けないや、、、


メイプルソープ  シンセイ

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